経済評論家 上念司さんの『経済で読み解く日本史(明治時代)』を読了。
中間記⬇︎をアップロードしてから
読み進めたのは
第4章 経済で読み解く日露戦争
終章 講話反対から日米対立へ ー 新聞と不平士族の怨念
の二章。
読中読後、印象に残った箇所を抜き出すと、
” 今年は凶作。下手をすると来年はコメを輸入しなければならない可能性もあります。
しかし、輸入の代金は正貨で支払わねばなりません。ただでさえ毎月3,000万円も流出しているのに、そんな臨時支出に耐えられるはずはない。
またしても日本がピンチに追い込まれました。しかし、このピンチを救った人がいます。いや当時は現人神だったので、人と言っては失礼ですね。
さて、八月三十日、講和談判において、日本が賠償金を撤回したということで、一時は日本公債の市場人気に自然失望銷沈の状態を示さんとしたが、
それもすぐに持ち直して、九月の初めごろになると欧米の新聞は一斉に我が天皇陛下の御英断を賞揚し、海陸連戦連勝の名誉に一層の光輝を添ゆるの感があった。
・・中略・・(出典:『高橋是清自伝』下/中公文庫)
なんと、賠償金を取らないという明治天皇の御英断が世界に評価され、日本国債は再び評価が高まり日本公債の価格は上昇、金利は下がり始めたのです。”(p217)
或いは「あとがき」にある
” 大正時代に入り明治は遠くなっていきます。そして、明治大帝の御誓文の精神は忘れ去られてしまったのです。
昭和に入るとついに、日本は敵対してはならない国々と敵対してしまいました。
すべてはハリマンとの約束を破ったことから始まります。
明治時代にあれだけ苦労してせっかく達成した国家目標が・・・ “(p243)
明治 1862 >> 1912
経緯に、ことの詳細は本書を参照頂ければと思いますが、明治時代に発揮されていた明治天皇のリーダーシップ、存在感は強く刻まれ、
明治・大正と、近現代の中でいっしょくた捉まえていたようなところもありましたが、
明治、この時代に薄氷を踏む中で、現代に至る軌跡が辿られていったことに、印象を書き換えられた思いを抱きました。
ここからシリーズ締めの(大正・昭和時代)に突入していきますが、既に読み進めた範囲、
混迷の色濃く(舵取りの難しさ)、重苦しさも伝わってきている感じに。ストーリーから導かれる上念司さんの結論を楽しみに読了に至りたく考えます。