作家、ジャーナリストである門田隆将さんの『裁判官が日本を滅ぼす』を読み始めて
全十五章あるうちの第七章まで読み終えたので、そこまでのおさらい。
裁判官が下した衝撃
「まえがき」で、
” 本書は、国民の多くが誤解しているに違いない裁判官の真の姿と、裁判官という人たちの特殊な人間性、そして彼らが足を取られている陥穽を明らかにするものである。”(p10)
或いは
” 正義が何たるかを忘れ、世間知らずで非常識な存在でしかなくなっている日本の裁判官を、その後は痛烈に皮肉ったものにほかならないことに気づいていただけるのではないか、と思う。”(p14)
と、正義の審判が下されるべき場所である裁判所で起きている現実について、
第一章以降、事案ごとに違和感抱かざるを得ない判決に至った経緯に、問題点、危惧が示されています。
中には、字面を追うことを拒否したくなる凄惨な証言が具体的に報告されているものの、その一切を否定されてしまったり、
最高裁において事実認定されたことが、あっさり(後に)民事裁判で全否定されてしまったり、驚かされた記述も多かったです。
裁判官の現実
繰り返し出てきたのは、
” 「いまの裁判官は裁判資料を読む気もなく、結果は最初から決まっているんです。”(p164)
なる指摘に、また唖然とさせられたのは
” 裁判官にとって、退官後、大銀行の顧問弁護士になるのは最高の花道で、すごろくの「あがり」みたいなものです。
だから裁判官が銀行と対立する見解を出すことなんてほとんどない。”(p167)
なる現実、、。
嗚呼、国民感情
本書が上梓されたのは平成十七年(2005年)とあり、後に裁判員制度導入に踏み切られた経緯も頷けますが、
上級審では、判決が覆されてしまうことも少なくない話しを耳にしたこともあり、現実は、今も出版当時と大きく変わっていないということですかね・・。
もっとも、問題視された判決が上級審で覆された例も本書に掲載されており、全裁判官について疑義が呈されたものではありません。
当事者でないと実感しづらい事ではあるものの、ここまでで十分に不当(と思われる)判決を下されてきた人たちの無念は伝わってきたので、
中、後半で記されている(であろう)記述も受け入れ難いのでしょうが、しっかり過去に下されてきた現実を直視してみようと思います。