書店内で「何か出てないかなぁ」と彷徨っていた際、タイトルを見て「!」となった、
『そうだ 神さまに 訊こう! 京都の神社仏閣に学ぶビジネスの極意』を読了。
本書が出版された経緯が、表紙をめくった「まえがき」に
” 実は、京都の社寺にはビジネスに示唆を与えるパワースポットがたくさんあります。
・・中略・・
本書で紹介している社寺は、静かに散策、思索できるところが多いので、観光だけではなく、ビジネスの極意、求めているものへの示唆、ときにはお告げが得られる場所といえるでしょう。
すでによく知られている名刹であっても、新たな見方を提案していますので、これまでとは異なる発見があると思います。”(p3-4)
と記されており、清水寺、伏見稲荷といったお馴染みの所から上賀茂神社、永福堂といった私自身が初めて知った所まで、
・「千客万来」の戦略とシステム化を清水寺でしっかり学ぼう
・「絆」を強く。陰陽石に触れ、上賀茂神社で固めよう
といった具合、全六章、二一話(+十二ヶ月)に渡って、ビジネスを切り口に京都の秘めた魅力が綴られています。
神社仏閣から得られる「閃き」
印象的であった件を引用してみると・・
” かわいそうな人を見て同情し、もらい泣きしているとき、それはその人に自分が援助できることは何か、それを考える余裕ともいえる主体性を失っている状態です。
また、相手が敵意を持って感情をぶつけてきたときに、こちらも頭にきて反発するような場合も、自分が相手と同じ感情に巻き込まれており、「自己」を見失っている状態です。
これに対して「共感」は、相手の感情に巻き込まれず、また、それにべったりと同じにもならず、相手の心情を、まるで自分自身のものであるかのように感じとることです。
この、自分自身のものであるかのように、ということが「共感」の重要な特質です。
その特質は、ふたりの人間が「ひとりになるが如く」ですから、「一如」といってもいいでしょう。
この「一如」の性質を失えば、聞き手の主体性が失われ、共感ではなく同情や同感に陥ってしまうことになるのです。”(p85-86)
これは、
「共感」の本質を通天橋を渡り東福寺で悟る 〜自由とは「自ら由る」ことと知ろう
と東福寺の(洗玉澗の流れに架かる)偃月橋について取り上げた中で紹介されている解釈で、
本書の冒頭に、
” 神前や仏前で、敬虔な気持ちで手を合わせていると「閃き」を感じるときがあるのです。
啓示という言葉もあるように「あ、そうだ!」とビジネスのアイデアが生まれることも少なくありません。”(p4)
と著者の蒲田春樹さんの誘(いざな)いに従って、
本の中で紹介されている神社仏閣を訪れることによって、同様あるいは更に別の体験に遭遇できるかもしれません。
新たな切り口で感じる京都
その他、面白かったところでは、十二支別のスピーチ事例や最終章では「月別のおすすめ社寺」なる切り口も示されています。
本書の最後「あとがき」(平成二十九年一月吉日)の注釈に
” 著者は本書脱稿後、平成二十九年一月、永眠しました。”(p229)
とあり、生前最期の局面で仕上げられた著書で、読後、相応の重みが伝わってくる感覚を得ました。
ビジネスを切り口とした「京都」、
本書をガイドブック代わりに散策する「京都」というのも、今までの知られざる「京都」に触れる体験につながりそうです。
最後、新たな京都の魅力を紹介して下さった著者の蒲田春樹さんのご冥福を念じます。