加山雄三さんの『俺は100歳まで生きると決めた』を読了。
2024年4月11日、加山雄三さんの87歳の誕生日に
茅ヶ崎カフェで開催された発売記念サイン本お渡し会で、加山雄三さんよりお手渡し頂き入手していた著書。
本書は、
” 2022年の大晦日、「NHK紅白歌合戦」で歌った後、俺は100歳まで生きると決めた。”(p3)
と決めた未来への誓いに、
” 俺の全盛期は70代だったんじゃないかな。コンサートで歌ったり、テレビ番組であちこち歩き回ったり、70代は毎日充実していたからね。その延長線上に、今の80代の元気な暮らしがある。
そんな俺の70代、それまでの歩み、そして80代になった今、さらに未来について、この本で話していこうと思う。”(p6)
と189ページで簡潔に加山雄三さんが辿られてきた軌跡について
第一章 輝かしき俺の70代
第二章 茅ヶ崎の海が俺を育てた
第三章 俺の芸能生活、山あり谷あり
第四章 80代、まだまだ青春
第五章 今の俺、これからの俺
の章立てに沿って言及されています。
スター街道と乗り越えた試練と
加山雄三さんというと・・
” 親父は、俳優の上原謙。おふくろも俳優で、小桜葉子。 ・・中略・・
茅ヶ崎の家は広くて、敷地は500坪以上あった。おふくろは岩倉具視のひ孫にあたって、経済的に恵まれていたんだ。”(p56)
という境遇のもとに生を受け、順風満帆にスター街道を歩んできたものと思いきや
” 大学時代はミュージシャンになろうとは思っていなかった。俳優になりたいとも思っていなかった。企業に就職してふつうの会社員になろうとしていたんだ。そのために準備もしていた。企業の資料も集めていたんだ。”(p86)
との考えを友人(峰岸慎一さん)の
” 「バカ野郎! お前は上原謙の息子だ。資産はないかもしれないけど、暖簾はある。その暖簾を使わない手はないだろう」”(p86)
と怒鳴られてから傾いていった俳優業への道に、
” 圧雪車に襲われたときにとっさに体を回転させて避けようとしたけれど、斜め下向きになったまま乗っかられて、左肩甲骨が骨折、肋骨4本がひび、左足の大転子も損傷した。”(p131)
とスキーリゾートで6.5トンの圧雪車に轢かれ九死に一生を得た事件に、
” 俺は、光進丸は自分の意思で沈んだと思っている。
船には魂がある。心がある。船は初出航の前に御魂入れ式を行うんだ。魂を入れる。だから、船は生きているんだよ。
現実的な話になるけどさ。光進丸の維持費は莫大だった。うちの家計はもちろん、事務所の会計も圧迫していた。
・・中略・・
光進丸はそれをわかっていて、燃えて沈んでくれたのかもしれないよな。火災のときはものすごくつらかったけれど、時間が経った今は「光進丸よ、よくぞ沈んでくれた」と感謝している。”(p154-155)
マスコミで大々的に報じらたれた光進丸火災の受け止めに、スターの光と影を見た思いに。
そして、これから
本の結びには、
” こうして自分のバックグランドをふり返ると、育ちや経験が俺自身をつくってきたことがよくわかる。”(p185)
に、
” 自然に逆らっちゃいけない。謙虚にならなくちゃ、生きていかれない。”(p186)
といった人生訓ともに前のめりな感じが伝わり、「(願わくば)また齢を重ねた加山雄三さんにお会いしたいなぁ」といった読後感引っ張り出された著書でありました。