樹木希林さんと内田也哉子さんの共著『9月1日 母からのバトン』を月初(2022年9月1日)に読了。共著といっても本書が出版されたのは、樹木希林さんがお亡くなりになられた後の2019年8月。
先週(2022/9/2)参加した内田也哉子さん登壇イベントで ↓
「(その時に)サイン貰えれば・・」と考え購入していた一冊。
樹木希林さんの切なる願い
本書は、
” 母をダシに使って儲けようという人はいっぱいいます。でも、母がどう思うかと思ったときに、この「9月1日」のことに関しては、「おおいに使ってほしい」「自分が生きてきたことがもしも何かのダシになるんだったら、そんなめっけもんはないじゃない」って、絶対に言うと思ったんですよ。
生前、母はさまざまな出演依頼をすべて断っていたので、書籍化には悩みました。でも、私の判断基準はそこで決まりました。”(p107-108)
との背景から出版に至った専門家との対談を中心にまとめられた著書。
タイトルに掲げられた9月1日とは
“「死なないで、ね・・・ どうか、生きてください・・・」
去年の9月1日、母は入院していた病室の窓の外に向かって、涙をこらえながら、繰り返し何かに語りかけていました。
あまりの突然の出来事に、私は母の気が触れてしまったのかと動揺しました。それからなぜそんなことをしているのか問いただすと、
「今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの」
「もったいない、あまりに命がもったいない・・・」
と、ひと言ひと言を絞り出すように教えてくれました。
この2週間後に、母は75年の生涯の幕を下ろしました。”(p3)
という18歳以下の累計日別自殺者数で、過去40年で一番高い日。
本編では、生前の樹木希林さんの
” 母は2018年の9月1日、ちょうど入院中でした。そしたら病室で、「今日は9月1日だね」と言って、窓の外を眺めながらずっと何かをつぶやいているんですよ。
「死なないでね、死なないでね」って。私が「誰に言っているの?」と言ったら、こういう現実があるんだよって、教えてくれたんです。”(p79)
発言から内田也哉子さんも不登校児のケアに取り組むことになったきっかけに、
” まず、学校に行かないという選択肢があること、そして学校に行きたくないと思っている子どもたちがたくさんいるということ。
さらに学校に行かなくても、その後の人生をいろいろな方向に歩んでいる人たちがいることを知ったから。”(p129)
に、
” 志村 あのね、以前、日本の子どもが世界でいちばん孤独を感じているっていうデータが発表されたことがあったの。ユニセフの調査の中で。”(p210/志村=志村季世恵さん)
という知られるべく、そして改められるべき現実に、
” 私は、母や破天荒な父の影響もあって、チャンスが巡ってくればどんどんそこに行ってみたり、受け止めてみればいいと思ってきました。ある意味、どこにでもハッチがあったんです。”(p244)
という内田也哉子さんが直面した苦難の乗り越え方に
” 人間がなぜ生まれたかと言えば、難を自分の身に受けながらも成熟していって、最後、死に至るため。
成熟って、難がなければできないの。だから、私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、夫が私にとって有り難い存在だからなんですよ。”(p12)
という樹木希林さんの人生観に、我々が目を向けるべき社会問題の根と現実に、そしてそれを乗り越えていくための示唆が詰め込まれています。
広く、そして正しく知られ、示されるべき道筋
まずは不登校に関する問題がより多くの人に知られるようになり、生前、樹木希林さんがご自身の影響力も用いられて取り組まれていたということですが、
母の思いを受け止めての内田也哉子さんが託されたバトン、本書の読み手の一人として、関心を維持していくことの大切さを実感させられる読書となりました。