生前、明治大学ラグビー部監督として長く活躍された北島忠治さんの『ラグビー人生五十年/明治大学ラグビーとともに』を読了。
キーワード検索で、ふと本書を発見し
稀少性に反応し、入手していた経緯。
読み始める前は、本書出版が昭和49年4月と遡ることから「内容は・・」と及び腰気味な心情もあったものの
実際、読み始めると
” 私がラグビーを始めたのは、皆さんが知っての通り相撲から入ったんですよ。・・中略・・
ちょうど相撲のシーズン・オフに、当時のキャプテンだった井上文雄君(当時大槻姓、大正十五年卒)からちょっと出てくれないかといわれて、すぐ練習マッチというようなことを、いまの明治神宮外苑でやったんです。
練習の終わったあとで、当時のキャプテン井上君から、「ラグビーは笛が鳴ったら止めなければいかん」と、レフリーの絶対権のようなことを聞かされました。
いわゆるラグビーの精神というものは、ゲームが常にレフリーの絶対的な支配下でおこなわれるという点にあると聞いて、私の心はゆり動かされました。”(p25-26)
というラグビーとの出逢いに、
” 人によっては私の考え方を古いと言いますが、押しを中心にしてやる以外のラグビーはありえないというのが私の信念で、当時の慶応や早稲田も押しということは重視していましたが、明治が早慶に勝つようになったのは、明治の押しに対抗しえなくなったということでしょう。”(p36)
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” グランドを管理していた佐藤君という人がいました。・・中略・・
その佐藤君から、いいことを教えて貰いましたよ。「作物を作るには土を作れ」と。これはその後、私が学生にラグビーを指導するときの根本方針としてきたもので、いわゆるプレイヤーを作るのではなしに、土を作れ。
プレイヤーの基礎となる人間を作ることこそ何よりも優先すべきだとしてきました。”(p103)
というらしさ伝わる指導理念に、
” 私は、学生たちに ー というより、すべてのラガーたちにルールを守るよう、厳しく言い続けてきましたが、実は、私自身、自らそれを破る悲しい想い出が残っています。
それは、昭和三十二年一月二日、花園ラグビー場において行われた、明治対関学の東西対抗戦のときのことです。
観衆は正月気分で酒気を帯びて選手を野次罵倒し、試合をスポイルされそうになりました。
また双方のプレイヤーも異常にエキサイトし、ラフプレイが続出。
観衆の卑劣な野次はレフリーに対してまでおよんで、このまま試合を続行すると大乱闘にもなりかねない雲行きでした。
そこで私は、何人といえど試合中に入ってならないフィールドへ、レフリーの名を呼びながら飛び出し、試合を一時中断させたのです。
私は常日頃から、アマチュアスポーツとは、プレイヤーも、観衆も、真剣な態度でこれに臨むべきであると信じています。
その信念を貫き通すがためとはいえ、大勢の人の前で、私の行動がルールを破ることになってしまったことは、ラガーとして、また指導者として深く反省し、残念だと思っています。
これは、私にとって悲しい出来事として一生忘れられないことでしょう。”(p206-207)
という熱血漢ぶりが分かりやすい文面で綴られていて、読み応えもあり早々に読了に至りました。
北島忠治監督の揺るぎなき哲学
これまで断片的に伝説的な北島忠治監督像を頭に描いていたものの、本書では200ページ超に及んで略歴に、ご自身の考え、哲学に触れられ、
それらが今も明治大学ラグビー部に脈づいてきているものと、実に興味深い読書機会になりました。