お笑い芸人ナイツ塙宣之さんの
” 僕はずっと昔に、自分がぼやいているだけの談話集みたいな書籍をいつか出したいなあ、なんて雑念を浮かばせたことがありました。
で、それがあるときに出版社の方の「塙で一冊、本を作ってみたい」という雑念と巡り合って、そしていまあなたが手に取っている本書の形で現実のものとなりました。”(p138-139)
という経緯から出版に至った『ぼやいて、聞いて。』を読了。
サイン本販売情報に反応して
手元に引き寄せていた一冊。
苦難を重ねてきた人間関係
本書は
はじめに 僕はつるまない
第一章 とりあえず「人間関係」についてぼやきたい
第二章 それはそれとして「漫才」についてもぼやきたい
第三章 ついでだけど「違和感」についてもぼやきたい
第四章 なにはともあれ「雑念」についてぼやきたい
第五章 結びになりますが「言葉」についてぼやきたい
おわりに 喋ったぶんだけ聞きたいし、聞いたぶんだけ喋りたい
という章立てのもと
” 僕も人間関係でたくさんのしくじりを重ねてきました。でも人付き合いからは逃げずに、なんとかやってきました。
ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返しながら他人との関係を築き、ここまで生きてきました。
これが果たして成功体験なのか、と問われれば言葉は濁るばかりですが、でもとりあえず、様々なつまずきを曲りなりにも乗り越えてきた自負はあります。
そんなつまずきと反省と工夫の軌跡を、いまのタイミングで書いておこうかな、という気になりました。”(p007)
という塙宣之さんの
” 僕は聖人ではないですし、関わりのない人たちに愛情を強く持つことができない。でも、悲しいことはやっぱり少ないほうがいい。なんでも真に受けさせてしまう空気を少しでもズラせないかと、今日も芸人をやっているところがあります。”(p037)
という芸人としての立ち位置に、
” なにか相手に伝えるとき、「自信がある」という印象は非常に有効に機能します。そして「自信がない」という印象は、説得力を鈍らせてしまいます。
芸人の世界のみならず、どんな会議や打ち合わせ、プレゼンのシーンでも、結局のところ「声」が一番大きい人の意見や案が通ったりするものです。
それは自信という裏付けが、そのまま説得力に繋がっているからだと思います。”(p113)
というコミュニケーション論に、
” 全員から好かれる、ということは、誰からも違和感を持たれない、ということです。それはつまり、他者からめちゃくちゃに偏見の矢印を向けられるということです。
人間って、複雑です。「表の顔」がいくつもあって、そして「裏の顔」もいくつもあります。一言で断定的に総括できるような人間は、この世にはひとりもいません。
そして、偏見を自分に向けられることほど、しんどいことはありません。
だから、嫌われてもいいし、違和感を持たれてもいい。もちろんこっちも違和感でもって、他者に接していく。そうやって、僕は自分をなるべく生きやすくしています。”(p133-134)
という経験から得られた知恵に、塙宣之さんの考えが229ページ全編に及んで語られています。
試行錯誤を経ての突き抜け
トップレベルのお笑い芸人として、さぞ高いコミュニケーション力が備わっていたのであろうかと思いきや
本書で語られていることは逆の部分が目立ち、暗中模索、試行錯誤を経て現在地に立たれたことを感じさせられますが、
その過程を経て
” 四十過ぎた辺りから、死ぬことが全然怖くなくなりました。
子どもの頃は死ぬことがめちゃくちゃ怖かったけど、いまはもう怖くない。やりたいことは、もうほとんどやれちゃったからだと思います。”(p158)
と言い切られる塙宣之さんの多岐に及ぶぼやきから、学びに示唆を得られる方々、少なくないように感じられたぼやき集です。