ナイツ塙宣之さんの『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』を読了。
出版当時(2019年8月)、ウェブ記事で話題になっていたのは承知していて、長らく興味を持っていたタイトル。
(2023年)6月に参加したイベント時、塙信之さんが店舗用にサインされたものを翌日に買い求めていた経緯。
本書は、
” M-1は僕にとってトラウマ以外の何物でもありません。M-1決勝で計四本、ネタを披露したのですが、一度も「ウケた」という感触がなかったからです。
どうしたらウケるかだけを考え続けてきた僕にとって、これは全否定に等しい結果でした。予選ではどっかんどっかんウケていたのですが・・・。”(p19)
というM-1グランプリに傷を残した塙宣之さんの人生
” どうしたらウケるか。
この一点です。僕はそこだけに生きる意味を見出し、そのお陰で、日本人に生まれた以上、平等に訪れるだろういくつかの人生の山を乗り越えることができました。”(p14)
という原体験から、M-1に傾倒した日々(第1回からエントリーして、決勝進出までに8年etc)に、審査員(第14回〜)として携われるようになってからの経験をもとに、
ノンフィクションライター中村計さんを聞き手に、90の質問に回答していく形で構成。
塙宣之さんご自身のYouTube ナイツ塙の自由時間 で
M-1王者と審査員が素人のネタ添削します【ナイツ塙】
既に「漫才のネタの作り方≒笑いの起こし方を説明(言語化)のされ方が凄いな」とは思っていましたが、
本書での
” 人類が芸術を生み出したのは、言葉では伝えきれない思いを作品で表現しようとしたからです。
芸術家が感動したとき、それが「感動」という言葉で足りていたら、絵画も音楽も創造し得なかったと思うのです。
漫才師も同じです。人間の「おかしさ」をおかしいと言うだけでは伝えきれないから、ネタを思いついたのです。漫才という話芸が誕生したのです。
深いところからお客さんの感情を揺さぶり続けるために漫才師ができること、それは優れたネタを考え続けることしかないと思います。”(p72)
という漫才の起源?!からの紐解きあれば
” 東京の日常言葉はまず、誰もが聞き取りやすいよう発展してきたのだと思います。そして、もう一つ、諍いが起きないよう感情を読み取られにくい言葉として変化を遂げてきたのでしょう。
漫才をする上で、今の東京言葉が勢いをつけにくく、かつ感情を表現しにくいのは、そういう背景があるんじゃないかな。上方漫才の核である「怒り」を表現するには、もっとも不向きな言葉だとも言えます。”(p125)
と上方漫才と関東芸人の根っこに違いについての考察に、
” この年は、笑い飯の一本目のネタ『鳥人』で、紳助さんが一〇〇点をつけた伝説の大会です。首から下が人間で、首から上が鳥という荒唐無稽なネタで、笑い飯でなければ調理不能な設定でした。
M-1に「うねり指数」を計測する機械があったとしたら、あのときが最高値を記録していたと思います。いや、もはや計測不能だったのではないでしょうか。”(p147)
というプロ(同業者)から見た凄み、ときにダメ出しに、多角的に、赤裸々にお笑いついて斬り込まれていて、素人でも読み物として(難解さなく)腹落ちとさせられた箇所多数、興味深く読まされました。
お笑い いろは
” 漫才師の間でバイブルのような存在になっている『紳竜の研究』というDVDがあるんです。 ・・中略・・ この DVDは、サイドウィッチマンが「これを観れば、誰でもM-1の準決勝まで行ける」と言うほど、確かに、参考になることがたくさん語られています。”(p30)
という一文がありますが、本書も読むと読まざるではお笑いに対する理解に大きな差異が生まれる著書であるように ^^