哲学者 國分功一郎さんと、言語論、思想史などについて本を出されている互盛央さんのお二人が
” 「本」に関する本を二人で書く “(p7)
というアイディアのもと、上梓された『いつもそばには本が合った。』を読了。
開いてみた本の構成は・・ 國分功一郎さんと互盛央さんが「本」について7ページ程度の文をリレー形式で展開。
実際、読み始めてみると
ほぼ手に取ったことのない馴染みの薄い分野の本の紹介が続き、「難しいなぁ」なんてことを感じていたところ
互盛央さんのパート(「わかりやすさの罠」)で
” ここのところ、人文書の界隈では、よくこんな話を聞く。愚痴とも嘆きともとれる著者の言葉だ。
いわく、「最近は、どの出版社の人と話しても、分かりやすく書いてください、と言われて、うんざりする」。
つまり、どんな内容であれ、入門書のように多くの人に読めるものを、という要望である。”(p46)
という一文が出てきて思わず苦笑してしまいましたが ^〜^; そんなプロセスを辿っている最中、
國分功一郎さんのパート(実存主義と人文学)で
” 『全体主義の起源』のあとがきでアレントは「孤独(solitude)」を論じている。
孤独とは私が私自身と一緒にいることである。私は私自身と一緒にいることで私自身と対話する。
そうした対話こそ、思考することに他ならない。つまり思考には孤独が必要である。
だが、自分自身と一緒にいることができない人がいる。
その人はだから誰か自分と一緒にいてくれるひとを探し求める。その時、その人が感じているものこそ「寂しさ(lonliness)」に他ならない。
寂しいとは自分と一緒にいられないということ、孤独に耐えられないということだ。
そして寂しさは人間にとって最も絶望的な経験である。”(p82-83)
との引用があり、「才能は孤独の時に育まれる」という物言いは記憶にありますが、
孤独と寂しさを関連づけた指摘には深みを感じさせられ、前日に現役引退を表明したイチロー選手が
現役生活中に抱いた「孤独」に言及し記事で抜粋されるなど話題となり、それぞれから考えさせられるヒントを与えられたように。
この部分に本書で最大の読み応えを実感出来た次第ですが、
國分功一郎さん、互盛央さんに影響を及ぼした著書にそこから得られた読書経験に触れられることの出来る一冊です。