先週、中間記⬇︎をアップロードした
建築家 隈研吾さんの『点・線・面』を読了。
二〇世紀の建築
建築が辿ってきた歴史に沿って話しは進められていき、
” 木も石も含めてすべての自然素材が、ヴォリュームの表面のコスメティック(お化粧)に堕ちてしまったのが、二〇世紀という時代であった。”(p 060)
或いは
” 二〇世紀建築は、魔術と怠慢を結合させることに成功した。だからこそ、二〇世紀の人々は熱狂し、麻薬に依存するように、コンクリート建築におぼれたのである。
合理的であるかに見えるが、実は魔術と怠慢を愛するこの時代に、コンクリートはうってつけの素材であった。”(p 072)
といった総括に、
” チャンディガールのコルビュジュとは全く別のやり方で、多様性の途、大地とつながる途を探ったのが、日本の丹下健三(一九一三 – 二〇〇五)であった。
彼は、コルビュジエとも別の方法を用いて、アメリカ流、工業化社会流の線の建築を、超えようとした。”(p 115)
に、
” 一九六四年の祝祭の後の日本建築は、線の建築からヴォリュームの建築へと転換した。あるいは退化した。
坪単価においても、プログラムにおいても、「普通の建築」に適した「普通の解決」が祭りの後の社会から要請されたのである。”(p 117)
日本国内での流れに。
「木」が表象する時代
歴史が紐解かれる中で隈研吾さんの
” 木造建築の素晴らしさは、木という軽い腺を使いながら、地震にも耐える強い構造体を作れるところにある。
重たい鉄を組み合わせると、この軽やかでやわらかい平和な秩序が、破壊されてしまう。
カーボン・ファイバーのような軽くて強い素材を使えば、木造建築はその軽さを保ったままで、地震に耐える強さを獲得することができる。”(p 158)
との見解に、東京の新たなランドマークとして隈研吾さんが手掛けられた
” 僕らが生きているポスト工業化の社会は、木という素材によって、様々な物達が作られるべきであるし、木によって表象される社会になるであろう。それは僕の予測であると同時に、熱望である。
だからこそ、二〇二〇年の東京オリンピック、パラリンピックのために建設された国立競技場は、全国から木を集めて、小さな木のピースを、ひとつずつ手で組み上げるようにして作り上げた。”(p 004)
国立競技場に込められた思いなどに言及されています。
意識しようとせざると建築物との共生
漠然とした興味は抱いていたものの、一冊、建築家の本を読んだことは今回が初めてであったように思い、
門外漢である分、
” 極小と極大とが重層する新しい量子力学的な環境を整理し、その環境の中で生き抜く途を探るのが本書の目標である。”(p 044)
といった次元で理解しながら読み進めていくことは出来なかったものの、
歴史を辿る中で、「そういうことか」と、白地にわや〜っとした痕跡のようなものを残せたように感じられた今回の読書でした。