栗山英樹 元北海道日本ハムファイターズ及び侍ジャパン前監督の『監督の財産』を読了。
先週(2025/3/7)アップロードした中間記 ② から

読み進めたのは、
6 稚心を去る 第3章:監督としての1000試合 7年目の備忘録とともに(p709〜)
7 集大成(2019〜2021)
8 考察 野球論
9 光るべきもの
の計140ページ弱。7 集大成(2019〜2021) 以降は本書刊行に当たっての新原稿で、一昨年(2023年9月)読んだ ↙︎

『栗山ノート2 世界一への軌跡 』が、侍ジャパンに焦点を当てられたのに対して、『監督の財産』は主に北海道日本ハムファイターズ監督在任中の軌跡について。
根底にあるのは
” 私が本を書く理由はここにある。三原さんには遠く及ばない存在ではあるけれど、私の言葉でいつか誰かが救われるかもしれない。何より、プロ野球に携わった人間として、これだけ野球をさせてもらったから、そこで学んだこと、失敗したこと、感じた事を残す責任があると思っている。”(p832)
と面識はないながら多大な影響を受け学ばされたとの三原脩さんが遺されたメモに相当するものとして10年間の試行錯誤、苦闘がつぶさに記されています。
総括的なところで
” 「勝つカタチ」をいくつ作ることができて、そこにもっていけるかどうか、監督の力量のひとつがそこにある。”(p790)
に、
” 監督を終えて、新しい時代に向かっていく中でも、指導者の基準は「選手のためになるか」を考え続けることができるかどうかにかかっている、と再認識している。”(p811)
などとある一方、
” 変な言い方だが、決して読書が好きなわけではなく、監督をやっていて、いつも何かヒントがほしくて読んでいる。いわば、「欲しがりの読書家」だ。”(p759)
の一文に「やればやるほど・・」といった奥深さを感じさせられたり、
” 自分なら「正しい判断ができる」と、心のなかでそう感じることはいくらでもあった。
それが監督になってわかった。
やっぱり、やってみないとわからないことはあったのだ、と。
もちろんなにが「正しい判断」であるかはわかりようがない。やってみてわかったことが「正しい」とも言えない。
全部が全部、やってみなければわからないことであるわけでもない。
それでも多くのことは、「やってみた」ことでわかるようになるし、腹落ちする。そして、決断までの時間が早くなり、遅れる(差し込まれる)ことが少なくなる。”(p820)
の一文に、監督として采配を振るう醍醐味と一筋縄ではいかぬ難しさがあるように強く感じさせられました。

シーズンを迎えるに当たっては期待を背負った新監督の登場あれば、オフには責任を背負い去り行く監督あり、誰が監督であるのかファンにとっては常に大きな関心事ですが、約1ヵ月に及び「監督」について掘り下げた重量級(845ページ)の著書と向き合い、野球観戦する上で新たな楽しみ方を付与されたように思えた読書でした。