栗山英樹 北海道日本ハムファイターズ前監督の『栗山ノート』を読了。
別本目当てに書店を立ち寄った際、本書サイン本を見つけ、
購入に繋がっていた経緯。
栗山英樹前監督というと、WBCで侍ジャパンを率いての優勝で再び注目を集めることになりましたが、本書は
“この原稿を書いている時点で、19年のレギュラーシーズンは残り10試合と少しです。”(p225)
と北海道日本ハムファイターズ監督在任中に上梓された著書。その元になっているのは
“もう何年になるのだろうか。ある習慣があります。野球ノートをつけているのです。”(p3)
で、
“ノートに書くことは自分の行動を見つめ直し、課題を抽出することに結びついていきます。つまりは、来たるべき「時」に備えて準備を進めていると理解できます。”(p31)
という役割。どのようなことが書いてあるのかというと・・
” 私の野球ノートは、『四書五経』などの古典や経営者の著書から抜き出した言葉で埋め尽くされています。”(p7)
とあり、
” 我事において後悔せず
江戸時代の剣豪として名高い宮本武蔵が、自身の生き方を記した『独行道』に収めた名文です。
もはや変えることのできない過去にとらわれ、「ああすれば良かった」とか「こうすれば良かった」と後悔するのは未来につながらない。同じミスをしたくないばかりにチャレンジ精神を閉じ込める、新たな一歩を踏み出そうとする心にブレーキをかける、といったことにもつながる。”(p43)
といった具合、ささ〜っと読み流すことを許さず、自然と書かれてあることに向き合わされます。
本では栗山英樹前監督の言葉の解釈に、北海道日本ハムファイターズ監督としての実践例などを交え取り上げられており、興味深かった記載を以下に引用すると
” 人間ができないと環境に支配されるというのは、環境を言い訳にするということでしょう。そうではなくて、主体性と創造性に回転させて、与えられた環境を最善のものに近づけていく。
足りないものがあれば、作ればいい。時間が足りなければ絞り出せばいい。主体的かつ自由に動いて想像力を働かせることが人間の良さであり、環境に左右されるような人間にはなるなと、安岡さんは言っているのでしょう。”(p120/安岡さん=安岡正篤)
は環境には抗えない/順応していくという考え方を持っていた自分自身に示唆を与えられ、或いは
” 人は必ず陰徳を修すべし
曹洞禅の語録書である『正法眼蔵随聞記』に収められた一文です。
陰徳とは誰かに気づいてもらう、知ってもらうことを目的としない善い行ないを指します。報酬や見返りを求めない善行です。
私たちがもっとも自然に、なおかつすぐにできる隠徳は、感謝の気持ちを抱くことでしょう。
・・中略・・
自分に良い流れを持ってくるには、陰で人のためにどれだけ尽くせるか、そのための努力が問われるのでしょう。”(p160 -162)
栗山英樹前監督と師弟関係の間柄とでも言うべき大谷翔平選手のゴミ拾いなどで注目された陰徳にはやはり説得力を。
苦悩、格闘の記録
一冊を通じて
” プロ野球選手としての日々をまとめるなら、自己アピール欄に書き込めるものはほとんど見つけることができません。”(p23)
に、
” 私の感覚からすれば、ファイターズはもっと勝っているはずなのです。私の能力が足りないばかりに、勝利を逃した試合は数多い。”(p161)
等、足らざる部分を如何に補っていくか、如何に成長/進化を遂げていくかといった苦悩を書に求め、格闘の記録が記されているとの印象強く、
そのトライ&エラーは読者自身に当てはめて考えることも出来、偶然(の本書)の出逢いから得られた知的好奇心の刺激が心地良く、購入済みの『栗山ノート2』での向き合わされも楽しみです。