栗山英樹 元北海道日本ハムファイターズ及び侍ジャパン前監督の『栗山英樹の思考 若者たちを世界一に導いた名監督の言葉』を読了。
(2025年)1月に開催された開催された ↓

出版記念イベントで入手していた著書。
本書は
1983 – 2012 ドラフト外入団、現役引退、ファイターズ監督就任へ
第一章 [栗山英樹語録]勝利への原動力
第二章 [栗山英樹語録]夢を信じる
第三章 [栗山英樹語録]諦めない、やり尽くす
第四章 [栗山英樹語録]侍ジャパン、世界一へ
2021-2024 WBC世界王座奪還、そして日本野球の未来へ
栗山英樹の本棚
なる章立てで、1983年のプロ入りから記憶に新しい2023年に開催されたWBCで侍ジャパンを率いて世界一を勝ち取った軌跡に、記載の通り多数の栗山英樹さんの監督時代を語録を収録。
印象に残ったのは
” 「おまえ、朝までバットを振ったのか」
本塁打王3回、打点王2回の門田さんの言葉を聞いた時、「自分なりにバットを振り続けたつもりだけどそこまでできなかった・・・」と思いました。
もし門田さんのように毎朝6時までバットを振り続けていたら、体力がついて、もっとホームランを打てたかもしれない。
門田さんのように毎朝6時までバットを振り続けていたら、体力がついて、もっとホームランを打てたかもしれない。
門田さんは長距離打者としては小柄(170センチ)でした。高校時代にはホームランを打ったことがない。それなのに、プロに入ってからバットを振り続けて、567本のホームランを積み上げていった。”(p15)
ご自身の現役選手期を
” プロ野球というレベルの高い世界で、私は選手として通用しなかった。そのことが逆に幸運だったのかもしれない。もしいい成績を残すことができていたら、今とは違っていた可能性があります。”(p12)
と振り返られながら体格的には差異がない(であろう)門田博光さんからかけられた言葉に受けた衝撃に、
” もし翔平に故障をさせたら大変なことになる。壊してしまったら責任なんて取れないですから。5年後にメジャーリーグに送り出す時、どれだけほっとしたことか。翔平が抜ければチームの戦力がダウンすることは間違いないけれど、「やっと、あの地獄から解放される」と思いました。それほどのプレッシャーがありました。”(p91-92)
と北海道日本ハムファイターズ監督として大谷翔平という素材を託されたことの重圧の凄まじさを感じさせられる記述。
また、特任教授を務められる北海学園大学の入学式で新入生に贈ったという
” 挑戦し続けなさい。そして信じ続けなさい。もう一度言います。挑戦し続けなさい。そして自分を信じ続けなさい。”(p140)
とのメッセージ。(上述の)発売記念イベントでは
> すみません。狙いました。(笑)
と発言されていたフレーズかと思いますが ^^ 栗山英樹さんの根底にある考え方を端的に示したものと。

ブレない姿勢、活かされた経験
先月に読み終えた

『監督の財産』と合算すると1,000ページ超となるボリュームで重量感ありましたが、WBC優勝の分岐点となった準決勝メキシコ戦での
” 全員が、私がどんな手を打つか注目していたことでしょう。私は村上に代打を出すことなく、打たせました。結果は皆さんもご存じの通り、村上のセンターオーバーの二塁打が飛び出し、サヨナラ勝ちすることができました。”(p184)
に代表される選手をとことん信じ切ることの姿勢/割り切り、10年間に及んだ北海道日本ハムファイターズ監督退任にあたり、
” 退任することに対しては納得していたんですが、「こんなふうに負け続けてやめないといけないのか」「自分の責任を果たせなかった」という悔しい思いがありました。「今回の経験を何かでうまく活かさないと」とも思っていた。”(p177)
と実感されていたところから舞い込んだ侍ジャパン監督、そして遂げた捲土重来の過程をよく理解でき、分量に見合った読後感を得られました。