戌亥乃章 於菊蟲
申酉乃章 柳婆
午未乃章 累
辰巳乃章 葛乃葉 或いは福神ながし
寅卯乃章 手洗鬼
子丑乃章 野宿火
空亡乃章 百物語
と七章収録されているうち「午未乃章 累」まで読み終えたので、そこまでのおさらい。
(2024年)8月末日に開催された
発売記念イベントでサイン本(付き会場参加券)を購入/入手していた経緯。
本書は1,149ページに及び、しばし京極夏彦さんの著書が鈍器本と称されるそのものといった見栄えで
購入時から向き合うには覚悟のようなものを求められる感覚も抱かされますが、読み始めから2週間で全体の7分の3(506/1,149)というところまで。
本を読み進めているのは移動時ゆえ、入り込んだ全貌をなかなか頭に描きづらいですが、ちまちまとページを重ね雰囲気も出てきました。
出版社(KADOKAWA)が載せているあらすじを下記に転用すると・・
下総国に暮らす狐狩りの名人・稲荷藤兵衛には、裏の渡世がある。凡ての嘘を見破り旧悪醜聞を暴き出すことから〈洞観屋〉と呼ばれていた。ある日、藤兵衛に依頼が持ち込まれる。老中首座・水野忠邦による大改革を妨害する者ども炙り出してくれというのだ。敵は、妖物を操り衆生を惑わし、人心を恣にする者たち――。依頼を引き受け江戸に出た藤兵衛は、化け物遣い一味と遭遇する。やがて武蔵晴明神社の陰陽師・中禪寺洲齋と出会い、とある商家の憑き物落としに立ち会うこととなるが――。
というもの。漢字の読みに言葉遣いから独特の世界観に突入させられ、
” 「世の中には不思議によって保たれている均衡がある。人間を超えた何かに支えられている幸せもある。それを壊してしまう権限は、旅人である私にはないんだと思います。」”(p281)
に、
” 怖いもの知らず程、怖がるものだ。治平の言葉を借りるなら、そういう族の多くは強く思い込んでいるだけである。世の中は自分の識るものだけで出来上がっていると、そう思い込んでいるだけなのだ。信じるものの外側にあるものが眼前に現れれば ー 怖かろう。”(p406)
と印象に残る言い回しを含め憑き物落とし、化け物遣い、洞観屋が軸に展開されていくシリーズ最終編の物語、つづきを心してかかりたく思います。