ロンドンブーツ1号2号 田村淳さんの『母ちゃんのフラフープ』を読了。
サイン本販売機会に反応して、入手していた著書。
田村淳さんの本は『即動力』⬇︎以来
3年ぶりで、本書が通算4冊目(であった筈)。これまでの著書で読み、知っていた内容が散見されるも本書は
” 病院のシャワー室に父ちゃんが行った頃合いを見計らって、母ちゃんは旅立った。”(p183)
と昨年(2020年)他界されてしまったお母さま(久仁子さん)との絆を軸に構成されたもの。
【生配信】田村淳の書籍『母ちゃんのフラフープ』記者会見ごっこ。
お母さまと強烈に結ばれた絆
小学3年生時の
” 「あなたたちが、3人がかりで最初にうちの息子をいじめたよね?あつしの服、毎日、チョークの粉で真っ白やった。
教科書も汚れていたし、ノートは落書きだらけ。いじめたのはあんたたちよね?あつしは自分から人を攻撃したりする子どもじゃありません!私は、許さんよ!」
母ちゃんのえらい剣幕に形勢逆転。3人はたじろいだ。その、あまりの堂々たる言いっぷりに、向こうの親たちも固くなって、それぞれ息子たちに「そうなのか」と問い質す。
「あの、あの・・・すみませんでした!」
3人のひとりが頭を下げると、他のふたりも仏頂面であとに続いた。
怒っていた親たちも、次第に恐縮したようになって、「すみませんでした。まさかこっちが先にいじめていたなんて、あの、このことはどうぞ内々に・・・」と謝った。僕は腹のなかで、母ちゃんに喝采を送った。”( p035)
と、学校で受けていたいじめから自作したヌンチャクを用いるなど行き過ぎた反撃により親が乗り出す事態に発展してしまうも、機転の効いた対応で息子(=田村淳さん)の窮地を脱したり、
” 初の東京でのアルバイトが終わった後、公衆電話から母ちゃんに電話をする。飲食店にバイトが決まったことを、手短に話す。
母ちゃんは、よかったねぇと笑っていた。
「これで飢え死にすることはないわーね。ああそうそう、宅配便を送ったからね。明日くらいに届くやろ」
「いらんよ」
「ええから。受け取りなさい」
翌日届いた宅配便の母ちゃんの手書きの文字に、ちょっと泣きそうになった。
それからどれくらい、母ちゃんからの宅配便の世話になっただろう。”(p094)
というお笑い芸人の道に突き進むべく故郷山口県下関市から高校卒業後、単身で上京するも早々に壁にぶち当たり試行錯誤する中で支えたおふくろの味に等々、
要所要所での力添えが大きかったことが伝わります。
そして本書刊行の経緯となったガンを患い転移がみられ、余命を意識せざるを得ない中、
” 『久仁子が、どうしても72歳の誕生日をうちで祝いたいと言っている。できるものなら叶えてやりたいが、先生が何というか』
・・中略・・
新しい孫を抱くことが、今、母ちゃんの気力を支えているのだとわかった。きっと最後の力を振りしぼってでも会いたいだろうし、長年暮らした家に帰りたいのだろう。”
僕は次第に、死なないでほしい、ではなく、とにかく苦しまないで逝ってほしいと願うようになっていた。”(p170-172)
と最期との思いから見せた切なる思いに、実現した場面が本書のクライマック=読みどころになっています。
生きざまを貫かれた生涯
多くの方々にとって母子の思いは特別なものであると思いますが、田村淳さんのお母様はブレない芯の通った姿勢に、
” ー うちは何かあった場合、延命治療はせん。”(p139)
と死生観、生きざまも見事定まり貫かれていたことが本書からよく伝わり、読書中、田村淳さんの語り、当時の振り返りに強めに引き込まれていました。
なお、本書での田村淳さんの経験を踏まえた、遺書を動画で作成するサービス<イタコト>についての紹介もあり、
読み手各々の事例を落とし込み考えさせられる内容にもなっています。