舛添要一前東京都知事の回顧録とでもいうべき『都知事失格』を読了。
出版時から本書については承知していたものの、最近まで感情的に受け容れ難く
先日の参加した特別対談の機会に合わせて入手していたもの。
本書は、
第1章 誰が私を刺したのか
第2章 都庁は「不思議の国」だった
第3章 韓国訪問とヘイトスピーチ
第4章 ファーストクラスは「悪」なのか
第5章 五輪と敗戦
第6章 見果てぬ東京
第7章 小池都知事へ ー カジノ・豊洲・広尾病院
という章立てに基づいて、
都民はおろか国民を敵に回した感の東京都知事辞任劇の舛添要一さん側の舞台裏に、
都知事時代に取り組んできたこと(意図、実績 etc)に、恨み節に、、といった構成。
辞任劇にしてはマスコミ報道が加熱して、
舛添要一さんご自身は
” かつて「一世を風靡した」舛添要一が、落ちぶれてライオンに食われかけている。こんなに面白い見世物はない。”(p37)
との表現で当時を振り返り、マスコミからは
” 「すみませんね、舛添さんの名前をふんどし(註:駅などの新聞販売コーナーの夕刊紙の宣伝広告)に使うと、3割と売り上げが伸びるんですよ」と答えた。”(p24)
と説明され、
” 私は、自分の子どもに殺害予告まで来ている深刻な状況を語り、不覚ながら涙を流してしまった。”(p52-53)
という状況にまで発展。
もはや舛添知事(当時)が何を言っても聞く耳を持ってもらえぬ状況であったことを考えると、舛添要一さんにとって本書を世に問う必然性は理解出来ます。
嵐は過ぎ去り、残されたもの
全286ページを一読して、舛添要一さん流の言い回し(表現の仕方)に、自負、強気な性格が存分に伝わってきて、
これはマスコミに頻繁に登場する頃から変わらぬことで、人気の源泉、一方で好き嫌いの分岐点でもあるように感じます。
同意できることと、同意出来ないことに二分され、浮上した疑惑に、さまざま飛び交っていた噂、例えば
” 私の妻は、ネット上で「創価学会の幹部」にされている。もちろん事実無根である。”(p43)
といったことに取り上げられており、
耳を塞ごうにも「これら一つ一つ本人の耳に入っていたんだなぁ」と、当日の壮絶さも垣間見られます。
最後は、
” 無責任なメディアに扇動され、自ら考える行為をやめたのだから自業自得と言われても仕方がない。もういい加減、目を覚ましたらどうか。”(p.279)
と読者への問題提起、檄で締めくくられており、本質を突く鋭さと同時に、舛添要一さんのキャラクターを強く感じさせられます。
反省と再起と
是々非々、判断される方の立場によって賛否が分かれていくことになるのだろうと思いますが、
本を読むと(学者、評論家の枠にとどまらない)実務者=政治家として能力の高い人である点は多くの人が感じることでしょう。
私自身はご本人の人がらに触れる機会にも恵まれた分、寄せられている可能性はありますが、反省すべき点は同じ過ちを繰り返すことなく、身につけられている卓越性を広く社会で発揮されていくことを望みます。