「暮らしの手帖」元編集長で、現在はウェブメディア『くらしのきほん』を制作、書店「カウブックス」店主の
松浦弥太郎さんの著書『それからの僕にはマラソンがあった』を読了。
数ヶ月前、松浦弥太郎さんご本人にお会いできる機会があり、スマートなお人柄に好感を抱き、
前後してサイン本の販売を承知していたことなどが重なって購入。
激務、体調異変から辿り着いた「走る」こと
本書は、
” 雑誌「暮らしの手帳」の編集長に就いてから、ちょうど三年ほどたったころのことでしょうか。
当時の僕は、それまでに雑誌の編集の経験などまったくなかったのですが、無我夢中で毎日、自分にとって初めてのことばかりに取り組んでいました。
そうは言っても、がんばったぶんに見合う結果が出るほどうまくいくわけではなく、かつて経験したことがないほど疲労が続いていました。
・・中略・・
疲れが溜まると、一番最初に、睡眠障害が日常化します。疲れていますから、帰宅すると倒れ込むように寝入ってしまいます。
けれども、一時間ほどたつと目が覚めてしまう。一度起きると目が冴えて、今度はなかなか眠れない ー こんなことがずっと続きました。”(まえがき)
と激務に向き合われていた日々に、
“「仕事が忘れられるような、現実から少し離れられるような、ストレス発散とでもいうようなことをしてみたらいいかもしれない。
でも何かいいのだろう」と思いをめぐらせていたときに、ふと頭をよぎったのが、「ちょっと走ってみようか」ということです。”(まえがき)
走ることを閃き、
” 毎日、一歩を踏み出すことができている自分がいれば、ほかのことを億劫に感じる自分に対して、少しは気持ちが強くなるでしょう。
「億劫なことくらいいくらでもある」と自分に言い聞かせ、毎日走ることを習慣にしてしまう。それはある種の自分の力になります。”(p026)
或いは
” 走ることは自分の訓練になるし、自分自身を知ることにもつながります。僕は強靭な精神の持ち主ではありませんが、走るという習慣を通じて自分の強い部分や弱い部分に向き合ってきました。
できれば習慣などふやしたくないと思っている人のほうが多い時代ですが、走るという習慣をひとつだけふやせば、何かを学ぶことができると思います。”(p031)
また、冒頭の体調異変についても(故障で一時中断を余儀なくされたものの)
” さて、ひと月半ほどランニングはおあずけ状態でしたが、そのあいだ、走らなくても睡眠障害などのトラブルはありませんでした、
走り出した当初に抱えていた追いつめられた気持ちは、いつの間にかすっかりなくなっていたのです。”(p043)
といった具合で、走り続けたことで得られた学び、気づきが克明に記されています。
走り続けたことで得られたもの
本書を購入する前、amazonの読者レビューに目を通して
「丁寧な考え方が文体から伝わり」「丁寧な文章に好印象」といったフレーズが印象に残っていましたが、
実際、そのとおりで、走り始めてから段階を追って、脳内で得られた内容が
丁寧に言語化されていて、「走る」ことで得られたことがよく伝わってきます。
私自身も、かつて走っていた日々があり、本書に書かれてあることの一部は腹落ちできた内容で、
何か行き詰まったり、現状打破の念に駆られたり、何かにぶち当たった際・・ などは「走ってみようかな」と、その効果の大きさから感じさせられた著書でした。