2021年、23年に及ぶ現役選手生活にピリオドを打った松坂大輔さんの『怪物と呼ばれて』が全18章に章立てされているうち 第1章 引退ー2021年10月19日 から 第9章 世界ー日の丸の記憶 まで読み終えたので、そこまでのおさらい。
サイン本入手機会を捉えて入手していた著書。
幼少期から視野に捉えられていたプロフェッショナル
内容は半生記で、さすが松坂大輔(さん)と感じさせられる300ページ弱の厚みで、
” 子どもの頃は、人によって野球に対する意識はまったく違うと思う。僕は小さい頃から、どうやったらプロ野球選手になれるかということを常に意識していた少年だった気がする。”(p16)
という野球との出会いから早々にプロフェッショナルを頭に描いていた幼少期に、
” さあ次は高校への進路決定だ。僕は当初、横浜高校ではなく帝京高校へ行くつもりだった。”(p21)
「へぇ〜」という本書で知らされた回想に、意外とイメージにないところで印象に残ったのは、甲子園出場で球史に残る激闘を繰り広げたPL学園との対戦前、
“中村監督は、大会前からこの大会をもって勇退することが報じられていた。そのことを受けて質問され、僕は「今日で辞めてもらいます」と言ってしまった。”(p35)
なる発言録に、NPB:プロ入り2年目、
” 試合後に「テレビとか新聞で今年は10勝できないと言われていたけど、そういう人たちにざまあみろと言いたいですね」”(p105)
といった具合で歯に絹着せぬ発言が散見され、ご本人は周囲の声を受けビックマウスと表現されていますが、自負とともに言動が圧巻の結果を引き出してきた側面があろうかと。
怪物、その現実
読み進めたのは、遡ること17年前=2006年日本国民を熱狂に巻き込んだ第1回 WBC で、苦闘を強いられた中、大会最優秀選手=MVPを獲るまで。
早くから怪物と称されていたキャリアとは裏腹に、
” シドニー五輪での金メダルを目標にしていたアマチュア選手の思いも勝手に背負い、4年後のアテネ五輪に臨んでいたが、また結果を出せなかった。「松坂大輔のところでまた勝てなかった」という声も痛いほど届いた。”(p148)
と背負った期待が高い分、故障も含め思ったとおりに結果を出せなかった陰が色濃く感じられました。
これから兼ねてより掲げていた目標を遂げるべくMLB:メジャーリーグに移籍しての日々に、怪我に苦しめられた現役選手生活の晩年、どのような舞台裏があったのか興味深く後半に突入していきたく思います。