連日でクリストファー・ノーラン監督作品を鑑賞。今回はデヴュー2作目との『メメント』。
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監督2作目にして完成された独自の世界観
クリストファー・ノーランのフィルモグラフィを振り返ると、本作製作後に現在の評価の礎を確立していたようで、
映画を一回見ただけでの難解さは本作でも覚えましたが、世に名を知らしめる前の時期で、予算に制限があったであろうところ
シナリオ(原作はクリストファー・ノーランの弟で、完成前から弟の承諾を経て映画化を進めたとの事/因みに小説と映画とで、結末は別物になったそうな)の奥行きであったり、独自の世界観は確かに築かれていました。
自己のアイデンティティーが揺らぐ中での苦悩
話の筋は、妻を殺害された男の復讐劇。主人公は10分以上の記憶が出来ない短期記憶に障害を持つ人物で
そこに設定の妙があり、記憶に障害がある事は主人公は自覚しており、その事で自分に確信が持てず、他人を信じる事にも疑心暗鬼が生じる事に。
時間も過去に遡っていく手法で、この事が視聴者を困惑させる事になり、監督が意図した事との説明ですが
映像特典でのクリストファー・ノーランへのインタビューによると、本作を2回見て楽しめる仕掛けがなされているとの事。
『メメント』予告編
本編エンディングで主人公の・・
” 自分の外に世界はあるはずだ。たとえ忘れてもきっとやる事に意味がある。
目を閉じててもそのこに世界はあるはずだ。本当に世界はあるか?まだ、そこに?あった
記憶は自分の確認のためなのだ。みんなそうだ。”
(上記)モノローグに、クリストファー・ノーランのメッセージが込められていると解釈しましたが
エンディングで導かれる時間軸の混乱は、クェンティン・タランティーノ監督作の『パルプ・フィクション』が脳裏を過ぎりました。
謎めいてモヤモヤさせられるところは、好みが問われるところですが、
この1ヶ月で『インターステラー』『インセプション』と立て続いたクリストファー・ノーランの描く世界観には、
普段、刺激されない感覚を自覚させられる感じもあり、多分に引き寄せられました。