元東京ヤクルト・スワローズの宮本慎也さん著「歩(あゆみ)ー 私の生き方・考え方 ー」が半分弱のところまで来たので、振り返り。
卓越したリーダーシップ
宮本慎也さんに対するイメージは、第1回WBC(ワールドベースボール・クラッシック)で世界一の座についた時、
イチロー選手がベテランの立場ながら裏方を買ってでた宮本選手の姿勢に「宮本さんが居なかったと思うとぞっとする」と称したり、
本戦でメダルには届かなかったものの星野ジャパンで北京オリンピック予選の際に「慎也のチーム」と形容されるほど監督から絶大な信頼が置かれたり、
先日読了した入来祐作さんの著者の中でも、
>> 入来祐作さんに学ぶ「変わる力」:『用具係 入来祐作』読了 <<
>> 入来祐作さんに学ぶ転機を捉え必死になる力:『用具係 入来祐作』読了② <<
PL学園時代の先輩であった宮本さんに対して
” 宮本さんは当時から周囲への目配りがすばらしく、細かいところまで気を回される方でした。野村克也さんが認めていらしたのも、そういうところなのではないかと思います。
PL学園では、遠征はたいていバスで移動します。そのバスの中では、1年生は背もたれに寄りかかってはいけないという決まりがありました。
しかし宮本さんは、いつも私を自分の隣の補助席に座らせてくれます。そして1年生で試合に登板した私を気遣って、わざと大きな声で、「入来、寝ていいぞ!」と言ってくれるのです。
もちろん私は、「いや大丈夫です!」と答えるのですが、宮本さんは、「ええって、寝ろ!」と言い、私の頭を自分の肩に持たれかけさせてくれます。
疲れていた私は、気づくとそのまま宮本さんの肩を枕に寝てしまい、起きた時にはいつも慌てていたのを覚えています。”(38%/ページ数に相当)
という件があり、優しさの他、自著で相応のスペースが先輩選手に割かれているところに宮本さんの人徳が感じられます。
片や(宮本さんの)本著では・・
” 二〇一一年、相川亮二が指を骨折しました。この年はヤクルトが終盤まで首位で、久しぶりに優勝が狙える年でした。
そんなとき、正捕手の相川の骨折です。並の選手なら、休んで当然のケガだし、プレーしろとはいえません。でも、どうしても優勝したかった私は、相川にいいました。
「おい、亮二。指の骨折は俺もしたことがある。同じキャッチャーの古田さんもやった。痛いだろうけど、試合に出ろ。何試合かやっているうちに、痛みには慣れてくる。
死ぬわけじゃないし、こんなこといいづらいけど、このままお前が休んで優勝を逃したら悔いが残る。お前が出て優勝できなかったら、諦めがつく」
話した後、痛みを忘れるコツを伝授しました。結局、優勝は逃しましたが、相川は試合に出て頑張ってくれました。” (p19)
厳しい面も感じられます。
ただ、その言葉に言われた選手がついてくるところに傑出したリーダーシップを感じ、この辺りが本著を手に取った主な動機です。
「不安と恐怖」と対峙した19年間
前半では引退に至る背景や、技術論、野村監督時代のヤクルト・スワローズなど。
“ふたつのポジションで連続無失策記録(遊撃手四百六十三回、三塁手二百五十七回)を作りました。” (p82)
歴然とした記録を打ち立てた守備の名手で、バッティングでも一流選手の証2,000本安打を達成していながら・・
” プロ入りして「この世界でやれる」と確信したことはありません。「これをやらなければ、この世界で生きていけない」と思って、必死に努力し続けてきただけで、「やれる」という感覚はありませんでした。” (p59)
という
” 不安と恐怖の連続 ” (p61)
宮本さんの選手としての現役生活が19年であったため、その内なる戦いは本人にしか分からない苦しみであったと思いますが、
宮本さんの場合、それが個の枠に留まらずに、チーム全体を視る目もしっかり持てていた、その姿勢を、219ページと類書の中では厚みを持つ本書から学べればと思います。