数日前に中間記をアップロードした
水野和夫さんの『資本主義の終焉と歴史の危機』を読了。
資本主義の終焉と、その後・・
中間記をアップロードしてからの第三章以降の部分で取り上げると・・
” ここまで見てきたように、資本主義を延命させる「空間」はもうほとんど残されていません。
中国が一時的に経済成長のトップに踊り出ても、そう遠くない将来、現在の先進国と同じように「利潤率の低下」という課題に直面することになります。
その時点で、二一世紀の「空間革命」は終焉を迎え、近代資本主義は臨界点に達することになるでしょう。”(p104)
という時代認識のもと、
” こうした難しい転換期において日本は新しいシステムを生み出すポテンシャルという点で、世界のなかでもっとも優位な立場にあると私は考えています。
その理由は、逆説的に聞こえるかもしれませんが、先進国のなかでもっとも早く資本主義の限界に突き当たっているのが日本だからです。
いちはやく日本が資本主義の限界を迎えていることは、一九九七年から現在に至るまで、超低金利時代がこの国で続いていることが立証しています。”(p105-106)
と日本の興味深いポジションについて言及し、
” 資本主義の先にあるシステムと明確に描く力は今の私にはありません。しかし、その大きな手がかりとして、現代の我々が直面している「定住状態」についてここで考えていきましょう。
「定住状態」とはゼロ成長社会と同義です。そしてゼロ成長社会というのは、人類の歴史のうえでは、珍しい状態ではありません。
・・中略・・
ゼロ成長というのは、純投資がない、ということになります。純投資とは、設備投資の際に、純粋に新規資金の調達でおこなわれる投資のことですから、設備投資全体から減価償却費を差し引いたものになります。
この純投資がないわけですから、図式的に言えば、減価償却の範囲内だけの投資しか起きません。
家計でいうならば、自動車一台の状態から増やさずに、乗りつぶした時点で買い替えるということです。
したがって、買い替えだけが基本的には経済の循環をつくって行くことになります。”(p188-189)
とポスト資本主義のヴィジョンは示されていないながらも、現状に対する理解を深め、
そこを考えの出発点として未来像を考えていくことに、本書の意義があるように捉えました。
変人?が鳴らす警鐘を経済史とともに分かりやすく
本の結びで、
” おそらく資本主義を前提につくられた近代経済学の住人からすれば、私は「変人」にしか見えないことでしょう。
しかし、「変人」には資本主義終焉を告げる鐘の音がはっきりと聞こえています。”(p214)
と、著者である水野和夫さんの立場が示され、世の経済認識に対して警鐘を鳴らされているとのが本書であると思いますが、
” 一体なぜ、超低金利がこれほど続くのか。その謎を考え続けていた時、歴史の中に日本と同じように超低金利の時代があることに気づきました。
それが「長い一六世紀」のイタリア・ジェノヴァで起きた「利子率革命」です。”(p210)
と過去からの学習に、私のような経済に関する初心者でも分かりやすい文に、多くの方にとって経済分野で考えるヒントを得られる一冊であるように思います。