先週、中間記⬇︎をアップロードした
東京新聞運動部記者 森合正範さんの『力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝』を読了。
その(中間記)後に読み進めたのは
第3章 「戦国キック」参戦
第4章 第1回 全日本選手権の衝撃
第5章 梶原兄弟との訣別
第6章 クラッシュ・ギャルズ
第7章 空手道おとこ道
上記の章(別途、Interview 「極真の竜」、語る etc)で、
“「『山崎が負けたら日本の空手が終わる』と切羽詰まった感じでね。大山館長の一押し。
寸止めの全空連を意識して、『山崎を通じて実戦空手、喧嘩空手はどういうものかを見せる』とはっきり言っていたからね」
真の空手とは「寸止め」ではない。実戦で通用する極真だ。大山にはそれを具現化し、証明できる弟子がいる。大山は山崎にすべてを懸けていた。”(p109-110)
と命運を背負った背景に、
” 「暗黙のルール」など存在しないのだ。正直、私自身はこの日の大会で死を覚悟していたし、控え室に集まったほとんどの選手たちは青ざめた顔で震えていた。きっと彼らも死の恐怖と戦っていたに違いない。> (『添野義二 極真鎮魂歌』小島一志)”(p112)
と壮絶なる舞台裏に、そして
” 「もしあのとき、他流派に負けていたら今の極真はない。大山倍達の名に傷がついた。山崎先輩がいたから今の極真がある。1ページ目があるから今のページあるんです」”(p122)
応えた期待に。
貫いた生きざま
辿った軌跡とは別途、驚かされたのは、
” 空手にすべてを捧げた大学生活が終わった。高校時代は山梨から東京・池袋の道場まで3時間以上かけて通った。社会人生活を経て大学へ。
酒もたばこも女もやらない。まさに「空手バカ」として、完全燃焼した。
試合や大会の結果を言っているのではない。極真入門から大学卒業までの7年半、思い描く空手道に邁進し、完遂したのだ。”(p166)
これらの戦績が大学生時代に凝縮されたものであったということ。更に卒業を迎え就職の口利きを整えた大山倍達館長に対し
” 「館長、私はサラリーマンとして生きていきます。空手で飯を食うつもりはありませんので・・・」”(p165)
と、その後、請われる形で表舞台に立つ機会は訪れたものの、卒業後は大きく進路を切り替えたこと。
その経緯も含め全編を通じて感じたのは「美学を貫かれた方だなぁ」ということで、
“「金はいりません。その代わり教えて納得がいかなかったら、辞めさせてもらいます」
1カ月後、梶原は指導料の6万円を山崎に手渡そうとした。「お金は本当にいりませんから」。山崎はそう言って、受け取らなかった。
空手で金儲けはしない。それは山崎の哲学だった。”(p171)
に、先輩の喧嘩に仲裁役のような立ち位置となってしまった際、示談金で揉め、
“「先輩が20万円払うって言ったんじゃないですか。男が一度約束したんだから、やくざが相手だって、守らなきゃ駄目じゃないですか。よし、分かりました。俺がケツを持ちます」”(p243)
と、『空手バカ一代』のエンディングテーマ歌唱で、大金に繋がったかもしれない印税に見切りをつけ肩代わりした経緯に、
同様の逸話は点在しており、身体で示した強靭さもさることながら、内なる強さも尋常ならざる次元であったことが伝わってきました。
継承された精神
その他、クラッシュ・ギャルズを無名期から指導し、
” こんなに厳しい練習を課すなんて人間じゃない。怒りを通り越して、殺意を覚えていた。”(p210)
という壮絶なる日々を経て
” 女子プロレスの試合を何度もヤマ場のある激闘に変えた。それこそが山崎が全女に残した最大の功績なのである。”(p223)
と社会現象にもなったクラッシュ・ギャルズに、男子顔負けの激闘が売りとなった女子プロレスの隆盛に大きく寄与されたことが分かり、
極真空手の錚々たるご歴々について漠然と承知していたつもりも、山崎照朝さんについては本書を通じて知ることとなり、辿られた軌跡に体現された精神に大いに学ばされ、その生きざまに爽快感を得られた著書でした。