村上春樹さんの最新刊『猫を棄てる 父親について語るとき』を読了。
先月(2020年5月)、久方ぶりに遠出した際、ふらっと立ち寄った書店で
サイン本に遭遇し、入手していた経緯。
亡き父への想い
よって、内容について一切承知しておらず、目に入っていた『猫を棄てる』だけ読むと、「けしからん」だとか「重いなぁ」といった心情にさせられますが、
(タイトル)後段に記載されている通り、
” 亡くなった父親のことはいつか、まとまったかたちで文章にしなくてはならないと、前々から思ってはいたのだが、なかなか取りかかれないまま歳月が過ぎていった。
・・中略・・
でも子供時代、父と一緒に海岸に猫を棄てに行ったときのことをふと思い出して、そこから書き出したら、文章は思いのほかすらすらと自然に出てきた。”(p98-99)
という内容に、タイトルが導かれた経緯。
祖父もお父様も、戦地に赴かれた経歴から(村上春樹さん)ご自身の出生が、
” 父の運命がほんの僅かでも違う経路を辿っていたなら、僕という人間はそもそも存在していなかったはずだ。”(p99)
と強く感じられている巡り合わせに、
” 彼は僕にトップ・クラスの成績をとってもらいたかったのだと思う。そして自分が、時代に邪魔をされて歩むことのできなかった人生を、自分に代わって、僕に歩んでもらいたかったのだと思う。”(p60)
とすれ違ってしまったであろうとの思いに・・
父の日を前に思い及ばされた読書
村上春樹さんの作品は、かつてアメリカに旅立つ前に友人が、3 巻セットの『ねじまき鳥クロニクル』文庫を手渡してくれ、現地での余暇にハマって以来、約20年ぶり。
その時の現実とファンタジーが交錯するなんとも不思議な世界観とは別途、切々と紡がれる在りし日のお父様との思い出。
男だと多かれ少なかれ父親と対立、確執といった過去から、長く割り切れぬ心情を抱えている人、少なくなかろうと推量しますが、
週末に迫った父の日を前に、自分自身の父親について思いを及ばされることになった今回の読書でした。
なお、タイトルにある棄てられた猫は、その後、村上家に帰還し、晴れて一家とともに過ごすことになったとのこと ^^