LOUDNESSのヴォーカリスト 二井原実さんの『二井原実自伝 真我 Singer』を読了。
” 1988年は、日本国内を重点的にツアーした。そしてその年末、僕は大きな転機を迎えることになる。
バンドがすでにロサンゼルスで次のアルバムの制作に着手し始めていた頃のことだ。ふたたびマックス・ノーマンと組んで作業することになり、僕の兄貴分であるスティーヴが今回も歌詞作りを手伝ってくれ、歌のコーチ役を買って出てくれていた。僕らはすでにデモを作り始めていた。
そんな頃、とてもショッキングな出来事があった。アルバムのプリプロダクションが進みつつあった頃のある日、アメリカ人ジャーナリストの電話インタビューを受けることになった。
すると彼は、こう切り出してきた。「アメリカ中で ラウドネスのヴォーカルが変わる という噂がある。実際、いろんなヴォーカリストに声がかかっているらしい。それは本当なのか?」と。
それを彼は、こともあろうに他ならぬ僕の直接尋ねてきたのだ。僕自身、その時点ではそうした動きがあることをまったく知らずにいたというのに。
ただ、バンド内の空気にちょっとそれまでとは違うものを感じていた頃ではあった。とはいえ僕としては衝撃的だったし、頭のなかで本当にガーンという音がするようだった。
当時はちょうど、僕と他のメンバーたちは別のスタジオで作業していて、コミュニケーションがあまりとれていなかった時期でもあった。
僕のいないところでどういう話が進んでいるのかも知りはしなかった。そして数日後の朝、メンバーたちが揃って、僕の部屋にやってきて「ヴォーカリストを変えてやっていきたい」と直接告げられた。”(p120-121)
という当時ファンにも大きな衝撃を与えたLOUDNESS解雇に至る経緯であったり、
再び高校時代の旧友シャラこと石原愼一郎さんと、LOUDESSでの盟友 故樋口宗孝さん等と組んだSLY活動時、
” 肝心の喉がまったく復調していなかったのだ。本当にコンディションが悪かった。レコーディングの現場はまだどうにかごまかしがきいたものの、ライヴでは続けて何曲も歌うことができなくなりつつあった。
しかしそうした状況をなんとか強引に打破しようとするあまり、変にがなって歌う癖がついてしまっていた。バイクで言うところの、ふかしすぎの状態と同じだ。
それを続けていると負荷がかかり過ぎ、結局はエンジンが止まってしまうことになる。無理矢理がなるように歌えば歌うほど、後のヴォーカリスト生命は先が短くなっていく。そんな絶望感があった。”(p144-145)
挙句、
” とにかく結婚生活は破綻した状態にあり、自身が身を置くべきバンドもなければ、所属事務所もないという状態だ。
だから当然、決まった収入もないし、まさにないない尽くしというわけだ、
だから僕は、当然のごとく音楽活動からの引退を覚悟した。”(p151)
という事態にまで。
そこからX.Y.Z.→Aを結成することになるファンキー末吉さんからの激励(救いの手)であったり、
徐々に歯車が動き出すLOUDNESS再結成への動きであったり・・
LOUDNESS 8118 and still
LOUDNESSが輝かしいキャリアばかりに彩られたバンドではないことは承知しており(むしろそのようなバンドも無いのでしょうが)
LOUDNESSが結成され、一気にスターダムへ駆け上がったは良いが、
日本人が世界で勝負していくことの(英語をはじめとした)壁、酷使された声の限界・・
これらに阻まれた現実、メンバー間の軋轢、結果としてこれらは時間が癒してくれることになり、
本のあとがきで音楽評論家の増田勇一さんが
“彼らが「うまくいけばラッキー」といった軽々しい気持ちなのではなく、今もなお本気なのだということ。
夢を諦めきれないのではなく、絶対に叶うと信じて疑わずにいるのだ。”(p253)
と、現在進行形のLOUDNESSの心情に言及され、本が結ばれています。
想像していたより、二井原実さんを覆った陰は濃かったですが、周囲の支えに、頃合いに、
これらが上手いこと噛み合って、LOUDNESSが今も脈打っていることが分かります。
LOUDNESS “Soul On Fire” Official Music Video
本の方はエンディングを迎えたものの、LOUDNESSの世界進出は年々規模をスケールアップ(昨年はついにドイツとスペインでヘッドライナーも務めさせてもらった。/p219)させており、
新譜を携えた国内ツアーを敢行中。
本書を通じて二井原実さんの心の動きに触れたられたことで、これから知ることになるであろうLOUDNESS伝説のつづきが、より楽しなものになりました。