1997年10月11日、東京ドームで行われた(Rickson Gracie:)ヒクソン・グレイシー対高田延彦戦の舞台裏に迫った
スポーツライター 金子達仁さんの著書『プライド』を読了。
20年を経て当事者が明かす衝撃の舞台裏
時を遡ること今から約20年前、会場に足を運んだ者の一人として脇を通り過ぎることは出来ない興味深いテーマで、
結論的な部分から引用すると、
” 高田延彦が目指していたのは、キング・オブ・スポーツの地位だった。
ヒクソン・グレイシーにとって、戦いとは命を賭した果たし合いだった。
一人の男は誇りを賭け、一人の男は命を賭けた。
日本人が負け、ブラジル人が勝った。より大切なものを賭けた者が勝った。それがPRIDE・1の真実だった。”(位置 No.2837/電子書籍のページ数)
そのことが結果において如実に示され、決戦に至るプロセスも、(高田延彦さんは)完全に調整に失敗し、
リングに上がった時の心境を高田延彦さんは・・
” 獲物を狙うスイッチが100%入ったリング上のヒクソンは、いまにも飛び掛かってきそうだった。
そんな男を前にして、自分は何の武器も持たずにパンツ一丁で立ってる。あの怖さ、心細さ・・・ これはどれだけ説明したって、他人にはわかってもらえないと思う」
・・中略・・
「今から思えば、よくゴングが鳴った瞬間に逃げ出さなかったよね、俺。」”(位置 No.2386)
という、ここまで言っちゃっていいの?と感じざるを得ないほど赤裸々に、そして実情に知るに悲痛なまでにトホホな状態であったと、、。
夢を共有していた者たちへの真実の戦史
学生時代、「最強」の称号を謳っていた高田延彦さんの戦いをしばらくの期間フォローしていた身としては切なく、
ヒクソン・グレイシー戦前の、場所は同じく東京ドームの(当時)新日本プロレス 武藤敬司さんに(高田延彦さんが)敗れて
1995 1009 武藤敬司 VS 高田延彦(IWGP)1
自分の格闘技に抱いていた夢は雲散霧消。
その時のショックに比べたらヒクソン・グレイシー戦での敗戦は幾分穏やかに受け容れられたように振り返りますが、
当時、高田延彦さんを通じて夢を抱いていた者の一人として、ほろ苦い思い出を呼び起こされる機会に。
複数の当事者の証言から状況が立体的に浮かび上がる貴重な回顧録が世に出て、脳裏に刻まれた一夜の真相を知るに至り、資料的価値としての読み応えは十二分でした。
なお、下記↓のような
” 試合中の恐怖がいかに敵であるか、幸いなことに、わたしはこの極めて重要な教訓をデビュー戦で学ぶことができた。
だから誓ったんだ。もう二度と恐れない。恐れてはいけない。恐れないための日々を過ごそう。
ネガティブな感情、無駄な感情は切り捨て、無の状態で戦いの場に臨める人間になろうと」”(位置 No.2207)
或いは
” わたしは毎朝祈るんだが、あの日の朝(註:高田延彦戦当日)は『素晴らしい舞台を与えてくださってありがとうございます。
今日の試合で勝っても負けても、たとえリングで死ぬことがあっても、グレイシーの名前を背負って死ねるのですから、本当に幸せです』と祈った。
・・中略・・
いままで自分が上がったことのない、最高で、最大で、最良の舞台での戦いが始ま流。それが嬉しくてたまらなかった。”(位置 No.2395)
といった随所に散りばめられたヒクソン・グレイシーも目から鱗な視座が印象的で、読み応えを増幅させてくれました。