先週末、読み始め記
をアップロードした小野伸二さん『GIFTED』を読了。
その(読み始め記)後、読み進めた 1999年/19歳 以降で刺さったのは、やはり
” 感じない、見えない ー 。
練習でも試合でも、プレーをしていればいつも、僕の目の前には「映像」があった。背中を向けている後ろ側で相手選手がどう動いているか、僕の動きに合わせてどう対応するか、ボールと相手の動きが全部イメージできていた。
本当に、全部。相手の動きが見えているから、僕はその裏をかけばいい。そうやって何年もプレーしてきた。でも ー 。
この試合、そのイメージが、全く浮かばなかったのだ。
以来、ピッチの見え方がそれまでと違うものになった。もう、今は慣れているけれど、あれ以来「映像が見えた」ことは一度もない。
転機となった「靭帯断裂」をしたのは、1999年7月4日、シドニー五輪アジア1次予選のフィリピン戦のことだった。”(p102-103)
と18歳にして日本代表に抜擢されるなど順調に才能の片鱗を見せ「天才」の呼び声から将来を嘱望された中、19歳で見舞われたキャリアを狂わせた負傷に、
” 自分が入って負けた。この事実は生涯、変わることはない。日に日に増していく、その痛みは、僕の心を蝕んだ。”(p206)
と出場したFIFAワールドカップドイツ大会でのオーストラリア戦において喫した逆転負けから
” 初めて「サッカーをやめようかな」と思った。そんな感情が湧き上がってきたことは、サッカー人生のなかでもこのときだけだ。”(p201)
とどん底にまで突き落とされた日々等、光と対比される影の部分の言及は、読書中幾度も心情を揺さぶられました。
光と影の狭間から
“じゃあ、サッカーの何がそんな好きなのか、といえば、人に喜んでもらえること、感謝ができること、そういったすごくシンプルな答えになる。
ただ、考えてみるとひとつ、好きなプレーがあることに思い至った。
ゴール?
違う?
アシスト?
それも違う。
僕の言葉では、「アシストのアシスト」だ。”(p284)
という件にらしさを感じつつ、長年小野伸二さんの代理人を務めた秋山祐輔さんの
” 僕が難しいな、と思ったのは、「戦術が雑なチームほど伸二を欲しがる」という点です。”(p135)
の一文に小野伸二さんの凄みの一端が示されているように思いましたが、若くして我々の前に「天才」として日本サッカーの未来を託された稀代のアスリートが
キャリアを狂わす大怪我に見舞われながら
” 何度も言ってきたようにサッカーが大好きだ。今でもグラウンドに行くのが楽しみで仕方がない。”(p284)
と競技(サッカー)に魅了され、困難と対峙しながら前を見て駆け抜けた半生記を興味深く読み切ることが出来ました。