『小沢一郎の権力論』を読了。
” 口下手で誤解されやすい人。しかし、75歳の今も熱い思いを持ち続けている人。本書でその一端を少しでも伝えることができたとすれば本望だ。”(p238)
本書の最後「あとがき」で語られており、小塚かおるさんの質問に、小沢一郎先生が応える形で構成されています。
序章 安倍政権の死角
第1章 これが権力のリアリズムだ
第2章 あの「政権交代」の真相
第3章 私が見た田中角栄
第4章 政治は誰のものか
第5章 基本政策・安全保障、憲法、脱原発・・・
第6章 日本人よ、自立せよ
終章 私は戦う
といった目次立てて、目立ったのは
安倍晋三首相と田中角栄元首相との対比、現状の政治への憂い/警鐘、国民への檄など。
安倍晋三首相に対しては
” 権力は政治には不可欠ではあるが、本来は国民のものであるはずだ。その権力を万能と感じた瞬間、権力者は足をすくわれる。
それは長期政権をほしいままに我が世の春を謳歌している安倍晋三にも言えるのではないだろうか。
・・中略・・
今のように、人事であれ何であれ、権力をあからさまに行使した政権というのは、戦後の自民党政権を見渡してもなかった。
私の経験上はない。これは本当に異質で、非常に危ういことだ。
「権力者」の代表のように言われるのが田中角栄先生だけど、田中先生ほど、権力に対して、ある意味、臆病で、慎重だった人はいない。
・・中略・・
実際、田中先生はロッキード事件の時、司法を抑えるぐらいの力は持っていたはずなんだが、そういう方法をとらなかった。”(p24-25, 28-29)
現状の政治への憂い/警鐘、国民への檄というところでは
” 政治家の劣化って言うけど、それは国民の劣化だ。民主主義社会では国民のレベル以上の政治家は出ない。
国民が選ぶんだから、同じ程度の政治家を選ぶわけだ。あとは選ばれた政治家が、自分自身の資質を高める。そういう努力をやっていくしなかない。”(p56)
といった具合。
小沢一郎先生が説く、政治、そして国家
「あとがき」を含め全238ページに及び長さは感じるものの、(引用箇所以外から)久々に小沢一郎(先生)節、国家観などに触れることが出来、その点での満足は得られました。
長く権力中枢及び周辺で力を奮ってこられた履歴から、現状に、第三者的な立場での評論に寂しさを覚えるところもあり、
一昨年(2016年)、大下英治先生とお会いした際「また、小沢一郎で出したいのだが・・」といったお話しも聞いていた経緯から
本書が小沢一郎先生にとって、評価の見直し等、何らか新たな展開へのきっかけになればと願ふところ。