齋藤孝先生に学ぶ、人生をラクにしてくれる50の概念:『世界の見方が変わる50の概念』読了

先日、中間記

<< 2017年11月18日投稿:画像は記事にリンク>> 齋藤孝先生に学ぶ、人生をラクにしてくれる50の概念:『世界の見方が変わる50の概念』中間記

をアップロードした明治大学 齋藤孝先生の『世界の見方が変わる50の概念』を読了。

中〜後半は、特に最後で紹介されている 49【悟り】、50【粋】が印象的で、

悟りを技化しよう

” 悟りとは、<思いわずらわずに今の時間に集中できている状態、それでいて自分の意識が勝ちすぎていない状態、リラックスして集中できている状態 >、

つまり <何物にも惑わされない、すっきりとした頭や身体であること >です。”(p216)

具体的には、

” こう書くとむずかしく聞こえるかもしれませんが、たとえば山登りしている最中に、この先、いくつ峠を越えたら頂上に着くのかというようなことを考えずに、

ただひたすら足を一歩一歩進めて、調子よく登れているというのは悟っている状態です。

反対に悟れない人は、<今> のことに集中できずに、たとえば明日の試験が気になって目前の勉強が手につかないというように、

<今>が<将来>から侵食され、前回の試験がうまくいかなかったから今回もだめなのではないかというように、<過去>からも侵食されています。”(p217)

そして齋藤孝先生は、

” 私は <人生いたるところ悟りあり>と考えています。<気持ちが落ち着いている、リラックスしているのに集中しているという悟りの状態は、人として最強モードです>。

人生がうまくいかない、不安やイライラばかりだというのは、<悟り不足>が原因のことが多いのです。

周囲の評価をあまり気にしない人がいます。彼らは、自分への評価よりも、この仕事の結果がうまくいけばいいくらいの<無の境地>でやっているので、結果的に成果を出したりします。

禅の修行に独り壁に向かって坐りつづけるというものがありますが、これは、他者に自分を認めてもらわなくては存在できないという弱さから無縁になろうとするものです。

無の境地で自己をしっかり見つめれば、他者に認めてもらわなくても存在意義をつかむことができるようになります。” <p217-218>

と、解説されており、明瞭で大いに腹落ちする内容でした。

目次(紹介されている概念の一部)

揺らぐことのない心の芯を持とう

そして、本の最後を締めくくる【粋】については

” 日本人の生き方の美学の根幹というか代表的なものを「いき」(粋)という概念でとらえたのが、哲学者の九鬼周造です。

九鬼はヨーロッパに長期滞在中、西洋哲学を探求するなかで、かえって日本の美と文化に惹かれていきました。

そして帰国後、「「いき」の構造」を著しました。粋に生きることは日本人独特の生き方の美学です。

先にもふれましたが、九鬼に言わせると、粋とは「色気(媚態)」を「心の強さ・張り(意気地)」と「垢抜けした態度(諦め)」で抑制した絶妙なバランス状態のことを言います。

「媚態」というのは、平たくいえば惚れた相手を自分のものにしたいという欲望からにじみ出る色気のことです。

ところが、惚れた相手をものにすると「媚態」は弱まってしまいます。

自分のものにしたいと思っている状態の、ある種の緊張感があってこそ「媚態」は持続しつづけます。

そのためには「意気地」と「諦め」が必要だと九鬼は説いています。

「意気地(心の強さ・張り)」とは気概、心の張り、あるいはやせ我慢のようなものです。媚態を持続させ、距離をおいても媚態が朽ちないために、そこにさらに磨きをかけるのが「心の張り」です。

粋な振る舞いや粋な存在をまっとうしようとする心意気です。

人間関係において、相手との関係が平行線、つまり近づきもしなければ離れもしないという状態をつづけていけるのが心の張りです。

この二本の平行線的な緊張感がないと、極端な場合、ストーカーになってしまったり、相手に夢中になって言いなりになってしまいます。

粋な態度、粋な生き方というのは<相手との適正な距離を保つこと>なわけです。”(p221)

更に「粋」であることの解説が続きますが、「悟り」にしろ「粋」にしろ普段我々が何となく使っている言葉(心意気)が、明瞭な言葉で語られていて

言語化されると「そういうことかー!」と、すっきりさせてくれます ^^

自分を客観視させてくれる50のヒント

その他、【交渉】(p124-127)

” <利益>とは、<自分にとっての本当の利益を明確にしておく> ことです。交渉とは、お互いの利益を発見していくことです。”(p125)

【他力本願】(p128-131)

”  <他力>というと、「他人のふんどしで相撲をとる」「人の提灯で明かりをとる」という言葉もあるように、力のない人間が力のある人に助けを求める依存心のことだと思いがちです。

親鸞の言う<他力本願>は、心の闇や苦悩の元凶を打ち破って、大安心・大満足の心にする力のことです。

自分を預けるという態度を徹底したところに見えてくる安らかな境地を、「南無阿弥陀仏」という、たった六字の念仏で日本中に広めたのが親鸞です。”(p128)

など、さまざま学びに閃きに・・ 50の概念に触れるプロセス(読書)が心地良く、

今回は最初から最後まで読書しましたが、日ごろ手が伸びるところに本書を置いといて

パラパラと気分次第で気になった箇所を読むようなスタイルで力を発揮するタイプの本でもあるように感じました。

普段、気づかぬうちに自分の体(頭)に入ってしまった習慣、クセの気づきがカタログ化されたような稀有な一冊です。


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