福岡ダイエーホークス/福岡ソフトバンクホークスでエースとして時代を築いた斉藤和巳さんについて
多くの野球関連の書籍を上梓されている元永知宏さんが執筆された『野球を裏切らない』刊行記念トーク&サイン会に参加。
プロ野球ファンの一人として、斉藤和巳の名は十二分に脳裏に刻まれていますが、
承知していたのは絶対的エースとして君臨した輝かしいキャリアと不遇(と感じられた)その後の大雑把なこと程度で、
殆どの個人的なことは知らず(ex. 出身はてっきり九州と思っていたり)、語られる内容に興味津々で参加。
プロ入り前から苦しめられていた肩痛
斉藤和巳さんと云えば、絶頂期と裏腹に怪我に苦しめられた現役生活が知られていますが、
トークはその辺りから始まり、肩の痛みは中学2、3年の頃から感じていたそうで、
当時はトレーニング方法が確立されていなかったことから痛みを感じたら休んで(代わりに筋トレ etc)、痛みが無くなったら投げ始めたりといったことを繰り返しいたそうな。
ドラフト1位で将来を嘱望されながらプロ入りするも、プロ野球選手となってからも痛みとの格闘を強いられ、投手としての復帰が五分五分といわれた中、手術に踏み切るも
思ったように進まず、いっ時は野手として練習もさせられ、試合にも野手として出場。
そこに至る過程で話し合いすら行われず、処遇に不満であったことから野手としての練習が終わった後、
一人残って投手としての練習を消化。斉藤和巳さん曰く、出来得る限りの抵抗であったと。
不遇を経て、2002年から片鱗(4勝1敗)を見せはじめ、2003年に入りプロ野球ファンが広く知る目覚ましい活躍(沢村賞2回など)を。
そしてキャリアを象徴する2006年10月12日
斉藤和巳さんと云えば、2006年シーズン プレーオフ 第2ステージ 第2戦 札幌ドームでの北海道日本ハムファイターズ戦(0-1で敗戦)を上げるファンが多いと思いますが、
シーズン終盤、チームの状態が芳しくなく(リーグ3位)、肩が不安視される状態であったそうな。
但し、登板間隔空けることで何とかなる感覚であったそうで、打線の援護無く結果報われずも、先発としての責任を全う。
熱投を支えたのは、2003年の阪神タイガースとの日本シリーズで福岡ドーム連勝したものの、甲子園で3連敗を喫し、
新幹線で博多駅に戻った際、駅中詰めかけたファンに囲まれ「これはヤバい」と選手一同直感させられたものの
拍手、激励によって日本一に巻き返した過去があり「(その試合勝てば次戦から福岡ドーム)福岡に戻れば何とか」なるとの思いから。
但し、この時期の投球が影響したか、その後、長くリハビリ生活を余儀なくされることに、、。
そして2007年は限られた状況の中で奮闘するも、2008年以降は終ぞ復活の時は訪れず、現役生活に終止符を打つことに。
トークではリハビリ中の苦悩、中途まで上手くいっても何かあるとゼロにリセットされてしまう焦燥感に、
確証がない中、再び手術せざる得ない現実に、沢村賞受賞したにも関わらず、支配下登録選手を外されるという処遇への当惑に・・陰の部分の暗さが強く伝わってきました。
ここで結果を残せなければ引退との決断を下したラストシーズン、
中途半端な生き方では自分自身を否定することになるとの覚悟を以て臨み、
今のご時世では考えられないほど投げまくったものの「投げたことへの後悔はない」との心情で現役生活を全う出来たとの総括、
また、肩についても小久保裕紀さん(=最初の手術を受けた時、病室が隣だった)など怪我がきっかけで得た出逢いに、
投げまくったからこそ今の自分があると非常に前向きで、斉藤和巳さんの生きざまを見せられたトークでした。
今回で本書に関して5回目のイベントであったそうですが、聞き手の元永知宏さんも野球経験者(東京六大学野球/立教)らしい質問の数々で、形式ではない内容あるトークで良かったです。
眩しすぎた光と、遠すぎた光の終着点
溢れる才能とは裏腹に苦しめられた故障という点では、元東京ヤクルトスワローズ 伊藤智仁さんの姿がダブりましたが、
伊藤智仁さん同様、斉藤和巳さんもやるべきことは尽くしたといったことが伝わり、ファンとしては前向きに現役生活を振り返られたことに救われたような感じを。
トーク中分かったことの一つで京都府出身とのこと、その辺のキャラも90分に及んだトークに後のサイン会で滲み出ていて ^^
ファンと気さくに談笑&接せられる姿に、現役時代の骨太な感じと合わせ、遅ばせながらファン領域に惹き込まれました ^〜^
トークで語られた内容+周辺部分をイベント書籍『野球を裏切らない』で振り返ることが出来るものと、後日の読書が楽しみです。