『「おバカ大国」オーストラリア だけど幸福度世界1位! 日本20位!』の読了記、第三弾。
今回は、第二章「それでもオーストラリアが幸福な理由」からの学びを抜粋。
「幸福度指数」4年連続1位のワケ
” OECD(経済協力開発機構)が毎年発表する、幸福度指数というものがあります。
その指標が2011年に定められて以来4年連続、実は1位がオーストラリア。あくまで加入国を中心とした水準ではありますが、
つまり、オーストラリアが世界一幸福な国だと、世界が認めているのです。 ・・中略・・
この幸福度指数は、「より良い暮らし指標」と呼ばれ、OECD加盟国34ヵ国にロシアとブラジルを加えた計36ヵ国において、
11項目(住宅、所得、雇用、共同体、教育、環境、ガバナンス、健康、生活満足度、安全性、仕事と生活のバランス)で評価されています。”(29% / 百分率は紙の本でいうところのページ数に相当 / 以下同様)
オーストラリア人たる価値観
” この国(オーストラリア)での売りは『パワフル』なんだ ” (31%)
” 国民全体のイメージを考えてみたいと思います。たとえば「日本人」と言ったとき、国際的なイメージとしては、背広にネクタイ、メガネをかけているサラリーマンが描かれるかもしれません。
そしてオージーの場合は「トレーズマン」が描かれることでしょう。
トレーズマンと呼ばれる彼らは、作業靴を履き、ヘルメットをかぶって、スコップか、するはしを肩にのせて無精ひげをはやした、いかつい男たち。
大工、配管工、電気屋、その他、諸々のトレーズマンこそがオージーの典型的なイメージであり、
この国の中枢や根幹、国家基盤を力強く支えています。
広大な土地を耕し、重いものを持ち上げ、暑いなかで働く。体力、そして筋肉と汗。強い彼らはきの国を代表する姿であり、
強さの象徴であることは間違いないでしょう。” (32%)
” 彼らは自分たちの仕事に、強い誇りを抱いています。自信に満ちて、堂々と仕事をしています。
そして働く期間に集中して働くぶん、休みもたくさん取ります。ざっくばらんにいって、年に6〜8週間(2ヵ月近く)ほどお休みしているでしょう。
そしてそのぶん単価は高く、一つ一つの仕事がものすごく高価です。半日来てもらって、家のどこかを修理すれば数万円、
数日がかりで屋根の塗り替えを頼んだら250万円。高く請求して、あとは遊んで暮らすというスタイルをとっています。” (33%)
” パワフルで手に職があり、基本的にフリーランスな存在である彼ら。主流を成す雇用形態が「正社員」などの「組織構成員」ではなく、
個人主体のものであることが、結果として力強さをも与えていると言えるでしょう。
トレーズマンの存在に象徴されるように、この国では「強さ」に価値が置かれている。
それに気がついたとき、正に目から鱗がはがれ落ちるように、オーストラリアを別の視点から捉えることができるようになりました。
彼らは単純に「おバカ」な人たちなのではない。心底「強さ」を求める人たちだったのです。” (34%)
上記の事柄や、公園でカップルが仲良く筋肉トレーニングをしている風景、24時間オープンのジムが増加している事情から・・
” 「強い・弱い」という軸に立つ人々は、自分が強くなったと感じることで、その都度、幸福感を得られます。
死ぬまで勉強に追い回される日本人に比べれば、はるかに簡単にオージーは幸せを感じられるのではないでしょうか。” (35%)
方や日本と対極的な事例として・・
” オーストラリアではお年寄りは大事にされるどころか、哀しいかな、疎まれがち。
それは彼らが「強さ」を軸として捉えるからです。 ・・中略・・
日本のようにお年寄りが積み重ねてきた「智恵」や「経験」などは重視せず、強さやエネルギーが溢れることこそが最上。” (36%)
といった傾向が指摘されています。また、世界がオーストラリア人を見下した傾向がある点に対しては・・
” 彼らはもちろん自分たちがおバカだとはこれっぽっちも考えてはいません。
と言うよりも、多くのオージーはおバカか、賢いか、ということもおそらくは考えたことがないことでしょう。
それは、そもそも彼らは「賢い・賢くない」という軸を持っていないから。 ・・中略・・
賢いかどうかが価値を持たない国ならば、そのことで劣等感を覚えることはないし、それを改善しようとも思わない。
さらに言えば、賢さに対し、敬意を払うこともない。” (38%)
裏返しで日本の社会が・・
” なんだかんだ言っても学歴社会から脱しきれていない、現在の日本では、軸として大まかに言って「賢い・賢くない」が基準とされ、
どの大学を出たかという「ブランド」も重要視されています。
いくつになっても同窓会が開かれ、社内でも学閥が存在しています。
もちろんそんなことはないと考える人もいるとは思いますが、職業が多くあるなかでも、
こつこつ勉強を積み重ねてつくことができる「賢そう」な職業、たとえば弁護士、医師、官僚、大学教授などが尊敬されているのは事実でしょう。” (39%)
オーストラリア人がフレンドリーであるということ
なお、オーストラリア人の「フレンドリーさ」については・・
” オージーの「フレンドリーさ」は、良い意味での「相手に対する期待値の低さ」から来ています。
ひとことで言うと「何もできないだろうから助けてやる」「俺のほうができるからやってみるよ」と。
だからレジでお釣りを間違っても、それは至って普通のことで、計算できないのも普通のこと。
小銭を数えるのが遅くたって、数えられるだけまだ良いほうと、周りを優しい目で見ています。
だからこそ「フレンドリー」なのです。
多少のミスは許容してくれる彼らのフレンドリーな態度に、暮らしのなかで救われたことは何度もあります。
配達が遅れても、約束の時間に間に合わなくても、「そんなのどうでもいいよ」くらいの感覚ですから
「日常の小さなことでストレスを溜める」なんて経験も、日本人に比べれば圧倒的に少ないと思います。
電車が止まって1時間社内に閉じ込められたオーストラリア人はtwitterに「素晴らしい青空の景色をありがとう」と書き込んでいました。
部品を購入したものの、サイズや型番を間違えたり、あるいは気に入らなくても返品は簡単です。
「どうしたの?サイズ違い?」などと、サービスカウンターの女性が手早く返金手続きをしてくれます。
ホームセンターに行けば、レジに並んだ人と同じくらい、返金カウンターに人が並んでいる光景をよく見かけます。 ・・中略・・
結果としてこれくらいにゆるやかなほうが、ストレスを感じることなく、はるかに幸福に暮らせることは間違いないのではないでしょうか。
フレンドリーでお互いのミスを許しあう社会は、結果としてみんながにこにことして暮らすことができるのです。” (41%)
日本的=自分らしさ?を考えての選択
日本(人)的なものの考え方を良しとするか、オーストラリア的を良しとするか、
はたまたその間を選択するか・・ 良い悪いでなく、生き方、選択の問題と思いますが、
例えばオーストラリアでは自殺者も少ないといった実態があるようで、
過度に「日本人的」な要素が高度化していると感じたら、それも「選択」と分かる事に、問題解決の糸口を見出す事が出来るようになるかもしませんね。