『「おバカ大国」オーストラリア だけど幸福度世界1位! 日本20位』読了記の第8弾は、遂に最終回。
今回は前回やり切れなかった最終、第五章「「おバカ」大国が教えてくれること」のエンディング部分。
努力は認めない、ラッキーである事に感謝しよう
” オージーは「ラッキー」という言葉が大好き。オーストラリアのことは「ラッキーカントリー」。
良い仕事についている人、高級車に乗っている人、美人な奥さんやハンサムな旦那さんと結婚した人にかける言葉は「あなたはラッキーだね」。
交通事故などで重傷を負って病院に運ばれた人は「彼はラッキーだった。死んでも不思議ではなかった」。
サメに足を噛まれたサーファーは「俺はラッキーだった。足だけで済んだのだから」。
余命宣告を受けた人であっても「私はラッキーだった。周りの人たちにこれだけ支えられているのだから」。” (93% / 百分率は電子書籍のページ数に相当/以下同様)
” オーストラリアには「努力を認めない」風潮があります。あるいは他人が努力をしているだろうとは見なしていない。
たとえ成功したとしても、努力をして、つかんだ成功だとは考えないのです。 ・・中略・・
前述のように、彼らは時間にルーズ。開始時間を9時半と設定すれば、ポツポツと会議室に集まってくるのは早くて9時半。
全員が揃うのはさらに遅れ、その後にダイレクター(社長とか役員のこと)がやってきて、それからようやく会議が始まります。
その原因としてはもちろん育ってきた環境の影響は大きいのですが、「他人を待たせている」ことに負い目を感じることが無い。
それは、先に来て待っている人たちの努力を認めることが無いからです。
陰でこつこつと努力をしていても、表に出てこなければ、気付いてもらい、評価されるなどということはまずありません。
・・中略・・
さらに言うと、他の人々が努力していると思わないのは、自分も努力しないから。原因と結果のつながりが希薄であるために、
その場限りの破天荒な行動に出るわけですが、一方で、努力がどんな結末を導いてくれるかということも想像をしないのです。
日本的な感覚ではにわかに受け入れがたいニュアンスではあります。しかしこうも思うのです。
自分たちの町や学校、もしくは職場、さらには地域や国を「ラッキーだ」と思えることは、
やはりものすごく幸福なことなのではないだろうか。苦しいけれども歯を食いしばって明日を待とう、
といった考え方では、いつか幸福になってもそうなったのかどうか気づかない。
それならば、今この瞬間を「ラッキー」と言えるオージーは、確かに幸福なのではないか?
・・中略・・
幸福はあくまでも個人の感じ方。誰が何と言おうとも、政府や経営者、親や上司がどんな指針を定めようと、
本人が幸福だと思えれば、それこそが幸福です。誰も幸せを定めることはできないのです。
となれば、個人個人がそれぞれ、自分は幸福だと実感することが大切なのではないでしょうか。
その点、オージーはみんな自分たちが幸福な国、ラッキーカントリーだと信じています。” (94-95%)
オージーに学ぶ幸せを呼び込む10のヒント
そして、最後、著者の沢木ソニー祐二さんから読者へ向け「幸福10ヵ条」が提案され・・
“ 1 言いたいことは言う:言いたいことがあればためらわずに言おう。(1〜10のコメントは何れも抜粋)
2 他人の言うことをあまり聞かない:自分が正しいと信じる方向に進もう。そしてそのことを、決して後悔しないこと。
3 常に自分のタイミングで:あくまで自分のタイミングを大事にして、ものごとを行おう。
4 流行をあまり気にしない:周りの視線は関係ない。自分で気に入ったものだけにすると、本当の自分の姿が見えてくるはず。
5 不必要なことならば、しない:たとえば勉強なら自分の好きな分野、やっていて楽しい内容をなるべく選ぶようにしよう。
6 自分が置かれた状況に感謝する:どんなに最悪に思えることでも「それでもラッキーだった」「もっと悪くなっていたかも」と考えてみよう。
今、自分が置かれた状況に感謝する気持ちこそ、幸福感につながる。
7 嫌なことなら我慢しない:嫌なことは我慢しない:イヤならイヤだときちんと言おう。
会社も学校も、ストレスを感じるなら行かないのも、立派な選択の一つだ。
時には自分のやりたいように振舞ってみることはとても大事。
8 頭にきたなら、その場でとことん怒って忘れる:嫌なことや頭に来ることがあったら、我慢せずにその場で怒ろう。
オージーはすぐ怒るし、怒鳴る。でも彼らは根に持ったりはしない。というか、執念深く考え込む持続力が無いのだけれど。それも幸せのコツだ。
9 困ったら、ときには逃げよう:追い詰められたとき、トラブルが山のように押し寄せてきたとき、ときには逃げてみよう。
一番恐れるべきことは、あなた自身が壊れてしまうことなのだから。
10 心配するのは止めよう:何かと気に病むことは止めよう。心配することのほとんどは、悩んでいても仕方がないことばかりなのだから。
心配事は案じていてもいなくとも、来るときは来る。それでも人生は再び輝くに違いない。
そうかまえて、普段は無駄に心配事をせず、いつも「ハッピー」で行こう。” (95-97%)
価値観180°違いから学べる幸せの処方箋
紙の本で225ページの分量ながら、実に8回に渡る読了記で、引用にも相当のパワーを使いましたが ^^;A
一冊の中にオーストラリア人の気質のような事が、仔細、多岐に渡って語られており
題名から受けるマイナーな感じとは裏腹に「オーストラリア」を学ぶに十二分の手応えを得られる決定版的一冊と実感しました。
オーストラリアには親日家の方が結構いて、日本でもオーストラリア好きは相当するいると思っています。
本書を読むまでは、その事を価値観の近さのようなことが働いての事かと思っていましたが
どうやらお互い無いものを持っている相手方への尊敬の念が土台になっているのだなと。
もっとも本書から学べた内容に準じると、オーストラリア人にとっては、そこまでの思慮はない可能性が高いですが(笑)
現状の日本について論じられる時、「閉塞感」という言葉をしばし耳にし、
これは外国から帰国された方に特に印象的であるようです。
読者それぞれ団体生活している中で、急に本書で語られているオージー気質を前面に出していく事は難しいと思いますが
対人ではなく、まず自身と向き合うスタンスを、本書から学べる事から試していけば、実践の書としての格も付与できますね。