政治学者 白井聡さんの『増補 「戦後」の墓碑銘』を読み始めてから
全部で第5章まであるうちの第1章とちょっと(〜p149)を読み終えたので、そこまでのおさらい。
” 本書は。『週間金曜日』に連載された『「戦後」の墓碑銘』と題するコラムの原稿、ならびに、筆者が折に触れてさまざまな媒体に書いた時事論的論考、
そして「戦後」というテーマに関連する解説論文等をまとめたものである。若干の書き下ろしも含まれている。”(p18)
というバックボーンから
第1章 「戦後」の墓碑銘
第2章 「永続敗戦レジーム」のなかの安倍政権
第3章 「戦後」に挑んだ者たち
第4章 生存の倫理としての抵抗
第5章 平成政治の転換点
と章立てされた下、
” 安倍の基本的なエートスが永続敗戦レジームの中核たる「敗戦の否認」にあることは見やすい。
今日の日本社会で、「敗戦の否認」は、その最も攻撃的な形態においては在特会(在日特権を許さない市民の会)のごとき現象として現れている。
大日本帝国において、植民地出身者は半ば公然と二級市民として扱われ、差別を受けていた。
敗戦の結果、植民地出身者もまた基本的人権を持つ対等な存在として接しなければならなくなった。
つまり、差別主義者たちは、彼らに対する人種侵害を行なうことによってその場に大日本帝国を出現させている。
言い換えれば、きわめて活動的なかたちで敗戦を否認してみせている。”(p15-16)
或いは、
” 矢部氏の新著(註 矢部宏治著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』)の画期性は、
かかる状態、言い換えれば日本政府とは米国の傀儡にほかならないという状態が法的に根拠づけられているという事実を、
平易かつ誰もが認めざるを得ない形で(公開資料を根拠として)提示したことにある。
すなわち、基地の場合は日米安保条約と地位協定、原発の場合は日米原子力協定 ー これが日本の国内法の上位に位置し、かつこの優位性は、法的に確立されている。”(p73)
と眼下の問題に、その深層に、問題の指摘と警鐘が鳴らされる内容となっています。
桑田佳祐さんが込めたメッセージ
印象的であったのは「桑田佳祐氏とともに闘う手段を見つけ出す」と題された稿で、
桑田佳祐(サザンオールスターズ)さんの
” 桑田氏は「デビュー以来ずっと目立ちたい一心で、下品極まりない音楽をやり続けてきた」と述べていたが、
私から見れば、これは一種の照れ隠し、韜晦である。世間一般で思われているよりはるかに、桑田氏の音楽は「社会派」なのだ。
例えば、一九九六年に発売された「平和の琉歌」(サザンオールスターズ)は、その前年九月に発生した沖縄米兵少女暴行事件、
そして事件を契機として起こった沖縄での広範な基地抗議運動に対する応答である。
同曲は、琉球音階を用い、琉球楽器を積極的に取り入れることで、沖縄音楽のテイストを濃厚に醸し出しているが、曲調の穏やかさにもかかわらず、
歌詞に含まれた戦後日本批判のメッセージは痛烈である。「この国が平和だと誰が決めたの?」と桑田氏は問い続け、
沖縄の犠牲化によって成り立った本土の「平和主義」の欺瞞を真っ直ぐに指摘している。”(p97-98)
と、他に複数の事例を紹介し、さらに紅白歌合戦で物議を醸したパフォーマンスの受け止め側に
” 桑田氏は、「日本語でロックすること」を実践したパイオニアの一人であり、それによって日本文化への巨大な貢献を果たしてきた人物である。
そのような人間に対して、ネット上で愚にもつかぬことを書き散らしているだけのつまらないひねくれ者が、「反日」と呼び、「監視する」とほざいているのである。”(p100)
と舌鋒鋭く、桑田佳祐さんの政治的姿勢を評価されている点、
当該曲は承知していなかったものの、ライトに桑田さんの楽曲に親しんできた一ファンとしては興味深く刺さる指摘でした。
切れ込まれる日本の深層
本書で白井聡さんの著書は『国体論 菊と星条旗』
に始まり、
『永続敗戦論』『「日米基軸」幻想 凋落する米国、追従する日本の未来』ときて本書で4冊目となることから、
それぞれの著書で通じる主張が落とし込まれている感覚はあり、
引用等も豊富で深いところへは容易に達せざるも、読みながら学びながら・・ といった感じとなっています。
全424ページに及ぶ厚みから相当な重厚感となりますが、心して以降の部分も読み進めたく思います。