先週、中間記↓アップロードした
白井聡さんの『増補 「戦後の墓銘碑」』を読了.-
『国体論 菊と星条旗』刊行記念のトークイベントで
(白井聡さんの)大学の先輩との國分功一郎さんが、「烈しさ」というキーワードを抜き出されていましたが、
白井聡さんの著書でもっとも列なる怒りを本書から感じたような読後感。
それは最後の「文庫版あとがき」で
” 本書は、安倍政権あるいは「安倍的なるもの」との闘いの記録であると同時に、戦後社会の常識が全く通用しなくなった五年余りについてのリアルタイムの記録であるとも言える。”(p.407)
との定義に、根幹に貫かれているのは
” 対米関係における敗北の恒常化を代償として、対国内およびアジア諸国に対して敗戦を否認するという構造を、筆者は「永続敗戦」と名づけた。”(p.155-156)
との考えから。
アメリカ凋落の現実が否めない現実下、第二次安倍政権が誕生して以降、一層の対米従属が加速している状況が本書の中で、「烈しさ」を伴って、事例を踏まえさまざま示されています。
一強、選択肢が示されぬもどかしさ
思い起こせば半年前くらいまでは安倍政権に対して是々非々で捉えていたものの
国会審議の内容等から徐々にしっくり来ない感じを覚え、このところの白井聡さんの著作を読んでいるのは
現状をグリップしたいとの思いがあってのことと自分自身捉えていますが、
野党勢力が結集を図れず、国会審議に緊張感が欠ける状況が常態化する中、
自民党内でも対立軸の台頭なく、選択肢が一切示されることのない現実と、本書で綴られた内容の重さを感じると、
「う〜ん」とさせられてしまうのが、実際のところです。