スティーブ・ウォズニアックが自伝で振り返った数々のいたずら、スティーブ・ジョブズ、そしてAPPLE:『アップルを創った怪物 もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝』中間記

先日、読み始め記をアップロードした

<< 2017年11月23日投稿:画像は記事にリンク >> スティーブ・ウォズニアックが自伝で振り返った数々のいたずら、スティーブ・ジョブズ、そしてAPPLE:『アップルを創った怪物 もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝』読み始め

スティーブ・ジョブズとともにアップルを創業したSteve Wozniak:スティーブ・ウォズニアックの自伝

『アップルを創った怪物 もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝』を第12章(〜p254)まで読み終えたので、そこまでのおさらい。

広がりゆく影響力

(「読み始め」後に読み進めた第6章以降は)「エスクァイア」誌に掲載された「ブルーボックスの謎」という記事から

” 世界中どこにでも好きなだけ電話ができるんだ。”(p124)

という機器を開発してみせ、すんでの所でローマ法王と会話出来るまでに話しを発展させたり、

(アメリカ ベイ・エリア初の)ダイアル・ア・ジョーク(註:自動応答でジョークが流れるシステム)を開発し、

” 二週間もたつと、いつかけても話し中という状態になってしまった。職場からかけてみるんだけど、つながったためしがないんだ。

学校が休みの時期になると、たった一本の電話に一日に二〇〇〇回もかかってくるようになった。

少しでも多くの人が聞けるように、ジョークをなるべく短く、一五秒以内になるようにした。あまりの人気にびっくりしたよ。”(p169-170)

と、Apple(アップル)創業後、全世界的に影響力が浸透し、社会に変革を起こすまでになりますが、

その前に、個人レベルや地域レベルで振動を起こしていたことが伝わってきます。

そして、盟友スティーブ・ジョブズとの交流も増えていき、

ホームブリューなるコンピュータ技術に魅せられ、技術が実現することに魅せられた人々の集まりに出入りするようになり、(スティーブ・ジョブズから)

” 一九七五年の感謝祭のころまでに、スティーブは、僕と一緒に何回かホームブリューの例会に出席した。そして、あることに気づいたと言うんだ。

ホームブリューの人たちは回路図をもらうけど、そこに書かれたコンピュータを作るだけの時間や技術力を持たない人が多いって。

「プリント基板を作って売ったらいいんじゃないか」って提案された。”(p233)

そして、逡巡しているスティーブ・ウォズニアックに対して

” スティーブから魅力的なことを提案された。あのとき、僕らはスティーブの車に乗っていた。

そして、こう言われたことを、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えている。

「お金は損するかもしれないけど、自分の会社が持てるよ。自分の会社が持てる一生に一度のチャンスだ」

自分の会社が持てる一生に一度のチャンス。これには負けた。自分たちがそんなことをすると思っただけで元気が出たよ。

親友と二人で一緒に会社を始める。すごい。すっかりその気になってしまった。やるっきゃないじゃん。”(p234)

と、一気にアップル創業期にひた走っていくことになります。

アップル創業に至るまでの序章

本を読むまでは(スティーブ・ジョブズの映画を見ていたにもかかわらず)

学校卒業後、就業経験なく、アップル創業に至ったのかと思いきや

下積みとなる社会経験を重ねていたことが、意外でしたが、本の方は、これからアップルを通じていかに世界中の人たちに影響(変革)を与えたか

佳境に入ってくる感じで、また改めて読了時に本書を振り返りたいと思います。


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