新党大地 鈴木宗男代表の『ムネオの遺言』を読了。
「遺言」と云えども・・
” 「ムネオの遺言」ー タイトルだけ見ると、「あの鈴木宗男もついに観念したか」と受け取る読者もおられるかもしれません。
いやいや、私はまだ終わってはいないし、諦めてもおりません。”(p3)
と意気軒昂で、本書を手に取った読者へ向け、
” 私はいろんな人に言います。「鈴木宗男を見れ」と。順風満帆から一転、逮捕、収監、ガンの手術と様々な出来事に遭遇した。
どんな逆境にある人でも「絶対に諦めるな」と。
天国と地獄を経験した鈴木宗男が「負けるな、頑張れ」と発信して参りたい。”(p4)
というエールが、本の冒頭の「はじめに」で綴られ、本編の内容への期待を膨らませられます。
ハードワーク、そして逆風・・
本編では、生い立ちに始まり、政界に携わるようになったキッカケから、秘書として仕えた故中川一郎代議士との出会い・・
と、生涯を振り返る形で進められ、
例えば中川一郎代議士との関係では、若くして程なく20人の秘書を束ねる立場に就き、それは・・
” 私は秘書仲間の間では嫌われ者でした。鈴木が人の倍も働くから、おれたちが比較されて迷惑だ、と。
とにかく私は365日、休まなかった。新婚旅行で3日休んだだけですよ。それも結婚式の午前中まで議員会館にいましたから。
・・中略・・
当時、東京の議員会館が司令塔で、地元の含めて20名の秘書がいました。私は、もう中小企業の社長みたいなものですよ。
しかも自分より全部年上、中川先生の2つ年下の人とか警察を定年間近で退職して秘書になった人とか、
北海道開発庁で中川先生の先輩だった人もいた。しかし私は、年上でも全部にらみを利かせていましたから。
秘書を束ねられた秘訣は、四の五の言わせないくらい、とにかく私が働いたということ。
他の秘書は土日休みますが、私は毎日出ているわけですから誰も文句が言えない。誰も真似できませんでした。”(p32/p34)
という若かりし頃の世に知られる「鈴木宗男」像が確立される前の基礎体力をつけられるエピソードに、
師である中川一郎代議士の死を乗り越え、中川家との確執も乗り越え、周囲に推され支えられながら国会議員にたどり着くまでの生々しい経緯に、
社会と対峙し、逮捕〜収監されるまでに至った「宗男疑惑」の舞台裏、それを乗り越える日々の葛藤から現在に至るまで・・
これまでの個人史が網羅的に語られています。
収監中に悟った3つのこと
これら普通の人の2、3人分は経験されたであろう人生から導かれた人生哲学が興味深く、
” 刑務所にいた1年間で悟ったことが3つある。1つめは、信念を持って生きること。
自分がぐらついたら周りもぐらついて、誰もついてこなくなる。何があっても信念をもって生きる。そこに生きる道があると悟った。
2つめは、やはりひとりでは生きていけないということ。家族、友人、仲間がいると頑張れる。
私は政治家ですから、仲間といえば後援者、私はいい後援者に恵まれた。友人といえば生涯の心友・松山千春さん、生涯の戦友、佐藤優さんがいる。家族も心配ない。
3つめは、目に見えない力で生かされているということ。万物の霊長、ご先祖様、両親に感謝するという思いをもった。”(p181)
「時」を正確に見極めてきた人生
また、その戦友と記されている佐藤優さんが、巻末の解説で寄せた鈴木宗男評が秀逸で・・
” 人生には努力と運の要素がある。必死に努力すれば、あるところまでは上昇することができる。その先は、さまざまな偶然の要素、いわば運に左右される。
たとえ、不遇な出来事に遭遇しても、そこで腐ったり、諦めたりせずに、真剣に生きていけば必ず道が開けるというのが鈴木氏の人生観だ。
この人生観は、ユダヤ教と親和的だ。ユダヤ教徒、キリスト教徒に共通の聖典である『旧約聖書』「コレへトの言葉」(以前は「伝道の書」と呼ばれた)にこんな記述がある。
何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時、
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時、
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時(「コレヘトの言葉」3章1〜8節)
鈴木氏は「時」を正確に見極めて行動した。
それなのになぜ国策捜査の対象となったのか。『旧約聖書』はこう解き明かす。
太陽の下、更にわたしは見た。裁きの座に悪が、正義の座に悪があるのを。わたしはこうつぶやいた。
正義を行う人も悪人も神は裁かれる。すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある。(「コレヘトの言葉」3章 16〜17節)
「裁きの座に悪が、正義の座に悪がある」ことは、現実のこの世界では、残念ながらあり得ることのなのである。
月並みな人間ならば、「正義の座」に悪があるという現実に直面して、人生を半ば諦めてしまう。
しかし、鈴木氏は、いずれこのような状態は是正される「定められた時」があると確信していた。
それだから、人間に対する愛を信頼とを失わず、闘い続けることができるのである。”(p213-215)
鈴木宗男という熱が伝わる一冊
本書を手に取ったきっかけは、先日参加した東京大地の会で、「サインを貰う用に」といった不純?な動機でしたが
読めば、鈴木宗男先生の人生哲学が内側から綴られ、外側から解明され、
時代を駆け抜けている一人の人間を生きざま感じられる一冊で、読後に感じられた元氣にさせられる感じが心地良かったです。