高田文夫さんが残してくれた、悩んでいるのがバカらしくなる「笑言集」:『また出た 私だけが知っている金言・笑言・名言録 ②』読了

放送作家、ラジオのパーソナリティなど多方面でご活躍の高田文夫さんの『また出た 私だけが知っている金言・笑言・名言録 ②』を読了.-

先日参加した出版記念講座↓の対象書籍で入手したもので、

<< 2017年6月14日投稿:画像は投稿にリンク>> 高田文夫さん登壇の「新潮講座笑学部PRESENTS 高田文夫『また出た私だけが知っている金言・笑言・名言録 ②』出版記念講座」がめちゃ楽しかった ^^

金言、笑言、名言を合わせた計100言が

” 人生に役に立たない「お言葉集」も残しておいた方が愉快かもしれない。愉快な方が人生は豊かだ。

本にしておかなければ消えてしまうものばかりだ。

・・中略・・

ひと一倍、聞く耳を持って文字に残したのがこのシリーズである。

苦しい時、辛い時、嫌な事があった時、そっと聞いてみてください。

悩んでいるのがバカらしくなります。”(p4/p6)

という  忖度なしの「前書き」^^ に記された主旨のもと、

(それぞれ)1〜5ページ程度の分量にまとめられており、笑みを交えながらサクサクと読了に至りました。

以下に、 印象に残った箇所を抜粋すると・・

出版記念講座参加特典で書かれていたサイン

逆境でも卑屈にならなかった有吉弘行さんの凄み

” 1996年『進め!電波少年』で、「猿岩石」として大ブレイク。松村邦洋、松本明子に続くスター誕生だった。

22歳という若さで大人気、歌まで出して大ヒット。その人気も2年が限度だった。

ガクーンと仕事もなくなり、芸能界の地獄を見て、地獄を肌で知った。それでもへっちゃらだったのが有吉の凄いところ。

ダチョウ倶楽部の上島竜兵を囲んで呑む会『竜兵会』を土田晃之らと作り、毎晩のように竜ちゃんに呑ませてもらい、飯を食わせてもらい、帰りのタクシー代までもらっていた。早い話、パパであり、タニマチである。

・・中略・・

ある日、私も中野の竜兵会に参加し、有吉の尋常じゃない面白さ、竜ちゃんへの神がかり的ツッコミに舌を巻いた。

有吉の名がマスコミから消えて10年位の頃だったか。私は自分のラジオで、雑誌の連載で、有吉の面白さを一人で伝え続けた。

まったく暇だというので、私のラジオのレポーターもやらせたが、これがまた恐れを知らなくて爆笑。

このラジオを聞いていた若きディレクター連中がポツリポツリと有吉を起用し出した。

それが今では日本一のMCである。天国から地獄、そしてまた地上へ。これ程、振り幅の大きい芸人もいない。

・・中略・・

有吉の凄みは、どん底の時代に、下品にも卑屈にもならなかったことである。談志は弟子には必ず「卑屈になるな」と言っていたのを思い出す。”(p38-39)

生きていること、生きてゆくこと

“「六輔  永のお別れ会」の会葬御礼に、藍染で域に染められた手拭いが配られた。そこにはこう書かれていた。

「生きているということは  誰かに借りをつくること  生きてゆくということは  その借りを返してゆくこと    永六輔」

私なぞ、まだまだ借りを作ってばかりの人生だ。借りをまだまだ返せないから、あの時、ああして生かしてもらえたのだと思う。

まだ当分、借りを返していかないと・・・。で、永さんは貸し借りゼロになって旅立っていったのかなぁ。”(p140)

「あの時」とは2012年に高田文夫さんが病床で心肺停止8時間の状況に陥ったことを指してのこと。

出典:yomiDr.(画像は記事にリンク)

本書では、このように芸人さんの名言、迷言?をとっかかりとした心に沁み入る話しに、ときに生きざまを感じたりすることの出来る一冊です。

著者である高田文夫さんの処世訓も

” 他の本に書いたが私が心しているのは ー

「人生は五分の真面目に二分侠気(男気)残り三分は茶目に暮れせよ」である。”(p174)

と粋で、心に留めておきたい名言でした。

 


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