放送作家、ラジオのパーソナリティなど多方面でご活躍の高田文夫さんの『また出た 私だけが知っている金言・笑言・名言録 ②』を読了.-
先日参加した出版記念講座↓の対象書籍で入手したもので、
金言、笑言、名言を合わせた計100言が
” 人生に役に立たない「お言葉集」も残しておいた方が愉快かもしれない。愉快な方が人生は豊かだ。
本にしておかなければ消えてしまうものばかりだ。
・・中略・・
ひと一倍、聞く耳を持って文字に残したのがこのシリーズである。
苦しい時、辛い時、嫌な事があった時、そっと聞いてみてください。
悩んでいるのがバカらしくなります。”(p4/p6)
という 忖度なしの「前書き」^^ に記された主旨のもと、
(それぞれ)1〜5ページ程度の分量にまとめられており、笑みを交えながらサクサクと読了に至りました。
以下に、 印象に残った箇所を抜粋すると・・
逆境でも卑屈にならなかった有吉弘行さんの凄み
” 1996年『進め!電波少年』で、「猿岩石」として大ブレイク。松村邦洋、松本明子に続くスター誕生だった。
22歳という若さで大人気、歌まで出して大ヒット。その人気も2年が限度だった。
ガクーンと仕事もなくなり、芸能界の地獄を見て、地獄を肌で知った。それでもへっちゃらだったのが有吉の凄いところ。
ダチョウ倶楽部の上島竜兵を囲んで呑む会『竜兵会』を土田晃之らと作り、毎晩のように竜ちゃんに呑ませてもらい、飯を食わせてもらい、帰りのタクシー代までもらっていた。早い話、パパであり、タニマチである。
・・中略・・
ある日、私も中野の竜兵会に参加し、有吉の尋常じゃない面白さ、竜ちゃんへの神がかり的ツッコミに舌を巻いた。
有吉の名がマスコミから消えて10年位の頃だったか。私は自分のラジオで、雑誌の連載で、有吉の面白さを一人で伝え続けた。
まったく暇だというので、私のラジオのレポーターもやらせたが、これがまた恐れを知らなくて爆笑。
このラジオを聞いていた若きディレクター連中がポツリポツリと有吉を起用し出した。
それが今では日本一のMCである。天国から地獄、そしてまた地上へ。これ程、振り幅の大きい芸人もいない。
・・中略・・
有吉の凄みは、どん底の時代に、下品にも卑屈にもならなかったことである。談志は弟子には必ず「卑屈になるな」と言っていたのを思い出す。”(p38-39)
生きていること、生きてゆくこと
“「六輔 永のお別れ会」の会葬御礼に、藍染で域に染められた手拭いが配られた。そこにはこう書かれていた。
「生きているということは 誰かに借りをつくること 生きてゆくということは その借りを返してゆくこと 永六輔」
私なぞ、まだまだ借りを作ってばかりの人生だ。借りをまだまだ返せないから、あの時、ああして生かしてもらえたのだと思う。
まだ当分、借りを返していかないと・・・。で、永さんは貸し借りゼロになって旅立っていったのかなぁ。”(p140)
「あの時」とは2012年に高田文夫さんが病床で心肺停止8時間の状況に陥ったことを指してのこと。
本書では、このように芸人さんの名言、迷言?をとっかかりとした心に沁み入る話しに、ときに生きざまを感じたりすることの出来る一冊です。
著者である高田文夫さんの処世訓も
” 他の本に書いたが私が心しているのは ー
「人生は五分の真面目に二分侠気(男気)残り三分は茶目に暮れせよ」である。”(p174)
と粋で、心に留めておきたい名言でした。