昨日に続いて、高田純次(高田純次のチンケな自伝)。
高田純次さんの人生が決まった出来事
高田さんが「人生を左右(=人生の方向性が決まってしまった)したのは、大学受験失敗だったと思う。」(p77)と語っており、
当初は大学に進学して、高田さんのお父様の期待に応える形でサラリーマンになるつもりで、現役の際は5校以上の大学を受験するも、何れも不合格。
一浪の時は「グラフィックデザイナーはかっこいいと思ってね。(p78)」美術系の大学も含め、全滅。
お父様の期待も裏切り、近所からは「勉強のできる純ちゃん」と思われていたそうで、目の前が真っ暗になったそうな。
この辺り、現役時代に大学受験に失敗した自分にとって痛いほど分かる感覚です。
話しを高田さんに戻して・・ 二浪する気力は残されておらず、専門学校(グラフィックデザイナー科)へ進学。ここで落ちこぼれるわけにはいかないとの意気込みから、まじめに通学。
仲間と遊び傍ら、横尾忠則さんの著作は殆ど読破、卒業絵画も提出し
2年の間に仲間が殆ど落伍する中、100名中4名という中の1人として卒業証書を手にする事に。
専門学校卒業を遂げた事は、大学受験失敗で影を落としかかった高田さんの人生を建て直す事になりましたね。
ハイバリューコンサルタントの青山龍さんが、放送作家の安達元一さんが動画の中で、人生で上手くいくためには(大なり小なり)某かの成功体験が必要だとおっしゃられています。
流れに身を任せて掴んでいた「高田純次」が育つ出逢い
その後はバイト生活であったり、自由劇場の研究生となったり。もっとも研究生を試される試験では、一緒に受験した綾田俊樹さんによると
「かなりの緊張していたらしく、セリフの声も小さくて、しかもあがっていたのか、何をいっているのかよくわからない。あれじゃ落ちると思った」(p86)
ほどの出来であったそうながら、募集定員30名に対して応募者33名という状況も味方してか合格。この運が、後に効いてくる事になります。
但し、劇団生活では「食っていける」との確信は得られず、結婚もしていた事で、その責任もあり2年後に就職を決意。
国家資格と思って勉強に励んだ「宝石鑑定士」が民間資格であったと後に気付くオチはあったものの
デザイナー学院を卒業していた経歴が企業の目に止まり、就職にはスムーズに行ったそうな。この時、26歳。
順調にキャリアを積み上げたサラリーマン時代
入社後は順調にキャリアを重ね、3年半で無遅刻無欠勤。待遇も良かったようで、2年経過後には当時のマンションの頭金相当の貯金には達するほどに。
会社からは幹部社員の期待もあったそうですが、浮気心で誘った女性と立ち寄った飲食店で
かつての劇団仲間と再会。下心は間もなくすっ飛んで(笑)「演劇論」を戦わすかつて仲間たちの姿に
「彼らのように、熱く語れる、燃えるような仕事を自分はしているか」
「心の底から納得のいく仕事をしているのか」
「燃えている彼らが妬ましく、自分がみじめに思えた。」(p110)
そうで、自問自答が芽生える事に。結果として、この事が劇団の世界に戻るキッカケとなり、「適当男・高田純次」が世に出る分水嶺となる出来事になったわけです。
高田さんは、この出来事を振り返って・・「魔がさした」(p112)と(笑)
適当男の真骨頂とは・・
この経緯に関して、夕刊フジ編集委員の久保武司さんが本の中で・・
「安定した生活を捨てるという衝動がどこから来て、それを生んだのは何なのか。恐らく本人もよくわかっていないだろう。
(劇団に身を投じたけれど、それを終生の仕事にしたわけではない。・・中略・・夢や理想を追いかけて、その実現のために、安住の生活を捨てたわけではない。)
しかも、その理由を自分でも深く考えない。魔がさした、オレは流れに任せただけ ーーー そういって済ませてしまう。これが適当男の真骨頂なのだと思う。」(p114)
と分析。
ジス・イズ 高田純次
結婚して、子供も居て、順風満帆なサラリーマン生活が軌道に乗った状況でのキャリアチェンジ、
普通だとなかなか出来ないと思いますが、上記、記者の方が分析されている通り、
その判断が「高田純次」なんでしょうね。
劇団の世界に戻る際に、奥様に相談されなかったそうですが・・ 人生の中で大きな決断を下す時って、理屈、合理性で割り切れない、直線的な思いが働くんだろうな、きっと。
気付いたら一歩踏み出してた、といった。