先週、読了記をアップロードした
高城剛さんの『白本 参』で印象に残り、書き切れなかったところを今回。
メールマガジン「高城未来研究所フューチャーリポート」の読者から届いた
” どんな時に生きていることを実感されますか?私は漠然としていますが、日本を出た時に生きていることを強く感じます。
高城さんはこれまで結構危険な経験もしてこられたようですが、どんな時に/どんな場所で生を実感されますか?”(位置No.800/数値は電子書籍のページ数/以下同様)
↑という質問に対して、高城剛さんは
” 車の助手席に座っていて、「この人、運転が上手だな」と感じさせられるようなドライバーは二流だと言われています。
一流のドライバーは、同乗者に絶対に「運転が上手だ」とは、感じさせないものなのです。
同じように、もし、ご質問の「生きている実感」が、普段と違うことで気がつかないうちに出ているアドレナリンだとすると、それはあまり良いことではありません。
日常とは違う感動や興奮に、人生の喜びを見出すようになってしまうのは少し問題で、なぜならそれを求める癖がついてしまい、感情の起伏が激しくなってしまうからなんです。
大切なのは、何気ない日常に喜びを見出せるかどうかだと思いますね。
僕自身、生きている実感を格段得ることはありませんし、なにしろ、生きているわけですので、感じる必要も考える必要もありません。
非日常を「生」だと勘違いすると、その道は遠からず「死」につながりますよ。”(位置No.800/807)
私自身も質問者と同じく、非日常に喜びを見出していたところがあったので、気付きを得られるQAでした。
センスよく社会に迎合しない+真面目な変人
他では、
” 『白本』の中で、「今後、社会にとって必要な人材は、センスよく社会に迎合しない人材だと思います」と書かれてましたが
「センスよく社会に迎合しない」とは、具体的にはどのような意味ですか?”(No.807)
という問いかけには・・
” 社会に迎合しないことは、それぼど難しいことではありません。周囲のしがらみや「空気」を顧みず、
自分が正しいと思った道を進むことが大切です。時には、「非難」されることもありますが、それこそ社会に迎合していない証に他なりません。
ちなみに、自分の「センス」を良くする最良の方法は、自分で「この人、センスがいいな」と思った人のそばにいることです。
なぜなら「センス」は磨かれるもので、自分一人ではなかなか磨けないものだからです。
結果、社会や人と「センス良い距離感」を持つことができるようになるでしょう。”(位置No.815)
というやり取りであったり、
” 自分を客観視してもそれほど魅力的ではありません。真面目だけど面白みがないと言いますか。・・中略・・
人間関係で傷つきたくない気の弱い自分が、今の状況を望んだ結果なんでしょうけど、どうすればもっと魅力的で面白い人間になれますか? “
という質問に対する
” 今改めてわかることは、「真面目な変人」は、とても「魅力的で面白い人」である、ということです。
ポイントは、何かの才能があろうがなかろうが、「不真面目な変人」だとただの「危ない人」になってしまいますので
「真面目」であることが大切で、幸いにもご質問者はご自身のことを「真面目」だとお感じの様子です。
ということは、あとは「変な見方」ができるかどうかにカギがあるはずです。
・・中略・・ 世界のすべての物事は、「見方」次第で、その「見方」が他の人の「見方」と違うことを「変」(「見方」を変えれば「魅力的」)と言うのです。
しかし、他の人と違うことを恐れれば、その「見方」(魅力)は永久に見ることができません。
おわかりのように魅力とは、他の人の「見方」とはまったく違うことを指し、それは、たとえ正しくなくてもいいのです。”(No.832/840)
といった、ちょっとピリっと刺されるような高城剛さんの(生き方)素とも感じられる、
それまで、わやっ〜としていたものが明瞭に言語化され回答されていくプロセスが読んでいて、すっきりした感覚を与えてくれ、心地良かったです。
次回は、裏『白本』とも云うべき『黒本』シリーズの最新刊 ↙︎
『黒本 参』を取り上げたいと思います。