先週、中間記⬇︎をアップロードした
竹田恒泰さんが主筆を務められている『国史教科書』(中学 歴史 令和2年度文部科学省検定不合格教科書 )を読了。
先人たちの生きざま
その(中間記)後、読み進めたのは、江戸時代(近世)から現代(平成から令和へ)まで。
これまでの2回も然りでしたが、本文より
” このような生き方は歴代天皇の遺訓であると同時に、その子孫や国民がともに実践すべきことであり、時代や地域によって変化するものではないと述べ、これらの美徳をまず天皇である自分が実践するから、国民もいっしょにこの道を進んでいくことを望む、と語りかけているのです。”(p250/修身道徳の根本規範「教育勅語」)
や
” 日本人の抑留者たちは、他国から連れて来られた人たちと違い、手抜きをせず黙々と仕事をしていたといいます。
その様子を見た現地の人々は、監視の目を盗んで食べ物などを差し入れることもあったようです。 ・・中略・・
日本人たちは戦争に敗れても日本人としての誇りを捨てることなく、丁寧な仕事をして、昭和二十二年(一九四七)にみごとなナヴォイ劇場を完成させました。
昭和四十一年(一九六六)にタシュケント近くを震源とする大地震が発生し、市内の建物のおよそ三分のニが倒壊しました。
ところがナヴォイ劇場はまったくの無傷で、見渡すかぎりの瓦礫の山のなかで、凛と輝いていたといいます。
これを見た現地の人々は、日本人の仕事に注目したそうです。日本人の本当のすごさは、目に見えないところまで手抜きがないことだと気づいたのです。
独立後、初代カリモフ大統領は、記念プレートから「捕虜」の文字を外すように指示しました。”(p338/ウズベキスタンにおける日本人の活躍)
以下注目の記述が続きますが、引用した囲みの中に入ったコラムに、先人たちの思い、生きざまを感じさせられる記述が多く、竹田恒泰さんが本書冒頭の『国史教科書』の特徴 で、
” この教科書は「日本人の日本人による日本人のための教科書であり、『国史教科書』と名づけたのはそのためである。”(x)
との思いが強く伝わってきました。
継ぐべきもの
その思いが最も顕著に込められているのが、「平成時代〜現在」 の結びの
“この教科書で勉強してきた中学生諸君が生まれたとき、世界は平和で、日本はすでに経済大国でした。
しかし、今の日本が平和で、豊かで、安全で、世界から尊敬され、そして文化の香りも高い国であるのは、先人たちが血のにじむような苦労を積み上げてきたおかげなのです。”(p360)
の一文であるように感じました。
来る4回目の挑戦で晴れて検定合格となり、中学教育の現場で選択肢が示されるようになることに大いに期待したいです。