ノンフィクション作家 田崎健太さんが、ドラフト外でプロ野球界(NPB)に飛び込んだ
CASE 1 石井琢朗
CASE 2 石毛博史
CASE 3 亀山努
CASE 4 大野豊
CASE 5 団野村
CASE 6 松沼博久・雅之
7選手に迫った『ドラガイ』を読了。
先月(2018年11月)参加した本書の刊行記念イベントで入手していたもの。
それぞれ印象的であった箇所を1つ抜き出すと・・
石井琢朗 88年ドラフト外 横浜大洋ホエールズ
“「バッターとして通用するとかしないとかいう考えはなかったです。ただ、バッターの方がやりたかった。
好きで入ったプロの世界なんだから、好きなことをやって駄目ならば辞める方が後悔しないだろうっていうのがありました」”(p20)
石毛博史 88年ドラフト外 読売ジャイアンツ
” ブルペンで投げていると、後ろから「まだ行けるやないか」という声が聞こえた。監督の星野仙一だった。
「それがすごく嬉しかった。自信になりました。ブルペンでの投球も凄く良かったんです。
すでにテストで獲る選手が二人決まっていたらしいんです。その一人を削ってでも石毛を獲るって星野さんがおっしゃったと後から聞きました」”(p69-70)
亀山努 87年ドラフト外 阪神タイガース
” 「真弓さんの代わりに試合に出て、岡田さんの代打に出される。どうすんねん、勘弁してくださいっていう感じ。
もう、シーズン途中で野垂れ死んでも仕方がない。行けるところまで行く、それしかないですよね」”(p110-111)
大野豊 76年ドラフト外 広島東洋カープ
” 「一年目で自信を失って、一番練習しなきゃいけない二年目のときに江夏さんに出会った。ぼくにとってすごい財産となりましたね」”(p148)
団野村 77年ドラフト外 ヤクルトスワローズ
” ヤクルトスワローズの監督、広岡達朗は自分が現役を過ごした読売ジャイアンツを半ば追放されたことを根に持っていた。その対抗心を野村は利用したのだ。”(p184/註:野村=野村克也)
松沼博久・雅之 78年ドラフト外 西武ライオンズ
” 監督からは「お前が悪い」って言われて謝ったんですよ。すいませんって頭を下げたんだけれど、エースはそっぽを向いているの。
あ、これは駄目だなと思って。それでこの人に負けちゃいけないんだっていう思いがわき上がってきた。
そこからぼくの野球人生は変わるんです。嫌いなウエイトトレーニングとかランニングとか真剣にやり始めました」”(p254/松沼博久)
なお、記述、発言に至る前段については、実際、本書を手に取って参照頂ければと思います。
非エリートたちのNPBでの覚悟と矜持
それぞれプロ野球ファンにとっては馴染みのある選手たちで、
(団野村さんについては選手よりエージェントのイメージが強いですが)
名球会入りした石井琢朗さんを除いて、記録よりも(ファンの)記憶に残った選手たちと言えますが、
そもそもアマチュア時代はプロ野球界に身を投じる意向がなかったり、或いは、プロ野球界に進んでからの
” ぼくはこの打席がアウトだったら、二軍に行くかもしれない選手だったんです。
一軍に残るためには、必死でやっている姿勢を含めて、プレゼンしなきゃいけない。
次の打席がないかもしれない。明日がないかもしれないっていうと、自然に出てきたんです」”(p107/亀山努)
覚悟であったり・・
世の中的にはプロ野球界と云うと憧れの舞台で、脚光を浴びる選手たちの声を耳にすることは出来ますが、
エリートでない選手たちのプロまでの軌跡に、プロの世界で名を残すまでになった生きざまに、七者七様の人生模様に共通する部分に、描かれた人間ドラマに惹き込まれました。