年末を迎えると、近年、意識させられるようになってきたのが、喪中の知らせ。
年賀状に関して否定的な意見が世代を問わず聞かれるようになった中、私は肯定派で今も継続出来ていますが、
年々枚数は少なくなっており、その原因を振り返ってみると、新しく(やり取りを)始める人が稀なのと、喪中が間に挟まることが大きいように。
年賀状を書く時は、だいたい前年のを持ち出してくる作業が前提となるので、「そういえば、あの人は(喪中だったな)」と思っても、
折角なら年末同じタイミングで出すよりも、発送時期をずらすことで、「年賀状に添えられている一文をもとにやり取り出来たらな」といった思惑も入り込んだりで、
結局、来なかった場合、発信のタイミングを失い、やり取りが途絶えることにつながるのが、パターンであるように。
年賀状そのものは、ご無沙汰になっている人たちと一年に一回でも近況を知る得る機会になっている効果が大きいですかね。
継続している人たちが少なくなった分、宛名が印刷されているだけの形式的なものは少なくなったように感じられます。
年始独特のワクワク感
いざ、年末を迎え「書かなきゃ」となった段階では義務感を感じたりで面倒に感じたりする心情は抱いてしまいながらも
近年、郵便受けに届いているものに対するワクワク感を感じることがなくなった中、
年賀状の時だけは「来てるかなぁー」と、違った感覚を味わえるのは年始の楽しみであったりします ^^