ルポライター鈴木利宗さんが、讀賣ジャイアンツの球団史で語り継がれる1979年秋に長嶋茂雄監督が敢行した伊東キャンプについて迫った『地獄の伊東キャンプ 完全版 長嶋茂雄が闘魂こめた二十五日間』を読み始め、第18章まであるうちの第5章まで=全体の3分の1程度を読み終えたので、そこまでのおさらい。
昨年(2023年)末に開催された
発売記念トークイベント参加時に購入していた著書。
本書は伊東キャンプを率いた長嶋茂雄監督を筆頭に、選抜招集された選手ごとに当時を振り返る構成で、序盤に登場にするのは
第1章 長嶋茂雄
第2章 江川卓
第3章 西本聖
第4章 松本匡史
第5章 角盈男
の監督及び選手4名。
覚悟を上回り課された使命
書かれていることは、
“「ボールは心で捕れ。グラブなんか捨ててしまえ!」
素手でボールと対峙させられたという。
生爪を剥がすのは仕方ない、しかし間違えれば指を骨折する。
その緊張感の中で長嶋の五感は研ぎ澄まされ、いつしか、明かりがなくとも、素手で捕球できるようになっていくのだった。”(p13)
という長嶋茂雄監督の伊東キャンプの原体験というべき立教大学野球部砂押邦信監督から受けたスパルタ式猛特訓の回想に、
“「初年度が終わった段階で九勝十敗だった。そのときに決めたのは『もう一回、勝ち星が一ケタになったら、もう辞めよう、引退しよう』ということでした。 ・・中略・・
その「覚悟」を決めたはずの江川が、連れて行かれた伊東スタジアムと周辺の光景に、震え上がった。”(p30-31)
と引退まで覚悟した江川卓選手の想像を凌駕した現実に、
” 「どうした、マツ。ケガか? 大丈夫か・・・」
そうして覗き込むと、松本の頬が涙で濡れている。
しばしのあいだ、松本の嗚咽が続いた。
それを黙って見守っていた長嶋は、ポツリとこう、つぶやいた。
「いいなぁ、マツ、「涙汗」か ー」”(p90)
早稲田大学在学中七度繰り返した脱臼をプロ入り後も悩まされる中、絶望に直滅し日本初の手術に活路を見出し選抜された伊東キャンプで長嶋茂雄監督から課された高過ぎたハードルに・・
壮絶さ滲み伝わってくる内容の連続に、月並みながら「やっぱプロって凄いなぁ・・」といった思いに覆われていっています。
これから既述の発売記念イベントに登壇された篠塚和典、鹿取義隆のご両名を含む12選手に資料編、濃いぃ内容が続くものと栄光の裏側の「地獄」の片鱗に心してあたりたく思います。