筒井康隆さんの長編処女作『48億の妄想』を読了。
先日、筒井康隆展を往訪した際に、
会場の世田谷文学館内で流されていたTV番組内で、
本作について1965年出版の作品でありながら、現代の監視カメラ、SNSの隆盛について記述されており、「予言の書」といった紹介をされており、興味を持っていた作品。
50年前の未来=2018年の現実
先日、読了していた『筒井康隆、自作を語る』では、
” 筒井 (中略)『48億の妄想』を、もう五十年ぶりで読み返したんですけど、傑作なんですよ(笑)。
ー それはみんな分かっています(笑)。
筒井 こんなもの、今は書けないですよ。よく書いたものだと思います。自分をほめてやりたい。”(p24-25)
という自信作で、話しのクライマックスは
ニュース番組のネタづくりのために、
韓国領海に入りこんだ日本漁船に韓国警備艇が銃撃を加え、日本漁船乗組員二名が死亡した事件の報復攻撃が立てられ、実行に移され、そこでの展開・・
変わらぬ人間の本質
作品の全貌360°入り込むレベルまで達するところまでは至らずも、
” 過去百何十年かの間にマスコミは、平凡な人間を有名にしてしまう新しい力を持った。いやむしろ情報社会の大衆 ー テレビの視聴者や活字報道の読者である大衆が、マスコミと協力して名声を製造する発見したといってよい。”(位置 No.1165/電子書籍のページ数)
或いは
” 自分たちの空虚さを反映しているだけのイメージにとびつく大衆は、大衆自身の影をふやし、拡大させているだけだった。”(位置 No.1174)
といった台詞に、本質を突いた鋭利さを感じ、テクノロジーの進化はあれども、
「人間が持っている根源的なことは変わらないんだなぁー 」と感じさせられました。