山本浩二さんがミスター赤ヘル、指導者としての野球史を総括した自叙伝:『野球と広島』読了

先日、トーク&サイン会に出席した・・

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<< 2015年8月18日投稿:画像は記事にリンク >> 山本浩二さん、ミスター赤ヘルのトーク&サイン会で広島東洋カープの栄光と現在を感じてきた。

ミスター赤ヘルこと元広島東洋カープの山本浩二さんの著書『野球と広島』を読了。

 

サラッと読めるかなと思いきや217ページに及ぶ分量で、読み応えありました。

活字で振り返る山本浩二史

これほどのキャリアを築きながらも、浩二さんご自身の著作は恐らく初めての事と思われます。

少年時代からWBC監督、今(2015)シーズン前半のカープの戦いぶりにまで、山本浩二史的な網羅的な内容になっています。

中でもカープ入団時の頃から初優勝を遂げるまでのエピソードにボリュームが割かれていますが、

個人的に浩二さんが二人の選手への思いが捧げられている点が印象的でした。

ちなみに、本書を読んで知りましたが、

” 念のために書いておけば、私の本名は山本浩司である。だが、プロでの生活を続けていて、いまひとつ伸び悩んでいた時期に、

友達から「姓名判断してもらってはどうか」と提案されたのだ。

・・中略・・

親からもらった名前を変えることには抵抗があったが、話を聞くだけでも聞いてみようかと行ってみた。

すると、「山本浩司というのはいい名前ですが、字画数がよくありません。

さらなる飛躍を望むのであれば、同じ音でも司ではなく二にしたほうがいい」と言われたのだ。

それで戸籍はそのままで、登録名を「山本浩二」に変えることにした。そうしたのが七五年のことだ。

つまり、改名してすぐに初優勝を味わえたわけである。”(p122)

と登録名が本名ではなかった点。

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選手、ファンから愛された炎のストッパー

選手に話題を戻すと双方とも故人となりますが、一人は津田恒実さん。

本を開いたばかりの「はじめに」で

” 「俺たちは必ず優勝するから、お前も胴上げに加われよ」

一九九一年の夏、福岡県の病院で入院していた津田恒実を見舞って、そう励ました。”(p3)

と、津田さんの闘病時のエピソードに始まり、本の終盤でも・・

” ツネ(津田恒実)という人間は、誰からも愛されていた。一九八二年の入団なので、私が現役の頃にも一緒にやっていた。

当時はもうベテランになっていた私は、少しゆっくりグラウンドに入って、センターのポジションあたりでアップをするようなことがあった。

そうすると、すでにアップを済ませて外野を走っているツネは「コージ、遅いぞお!」などと言ってのけたのだ。

私は「なにい!?」と反応してみせるが、周りのみんなはそんなやり取りを笑っていた。

そういうひょうきんなところがある男だった。”(p172)

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故津田恒実さんの野球殿堂入りで、ご家族やかつてのカープの同僚(監督、選手)と

「不世出のスーパーサブ」木村拓也

もう一人は、木村拓也さん。「不世出のスーパーサブ」と評し

” 監督からは本当に重宝される選手といえるだろう。

もともとキャッチャーとしてプロ入りしていながら、キャッチャーをすることはまずないと思われていたが

(さまざまなポジションにつけるように数種類のグラブを持ち歩いていた本人も、キャッチャーミットは持っていなかった)、

巨人では公式戦でキャッチャーまで務めている。〇九年九月四日、ちょうど私が解説をしていたヤクルト戦だ。

負けていた巨人が九回裏に追いついて延長に入ったが、途中交代していたキャッチャーの加藤健が十一回の打席でデッドボールにあい、

十二回を守るキャッチャーがいなくなったのだ。

あのときはたしか、原監督が決断する前からブルペンに言って、キャッチングの練習をしていたように思う。

そして実際にキャッチャーとして起用されたが、これが本当にうまかった。

その一回だけでピッチャーが三人投げているのに、どんな変化球でも、一五〇キロを超えるストレートでも、しっかりとキャッチングしていたのだ。

そのプレーを見ていて、解説をしながら涙が出てきた。あらためて、すごい奴だなと思い、その献身ぶりに感動していたのだ。

その木村拓也が突然、この世を去ってしまうことになったのはそれから半年ちょっとが経った一〇年の四月だった。

・・中略・・

東京でも「お別れの会」が開かれ、そこで私は弔辞を読んでいる。

弔辞といっていいかはわからない。「なんで、こんなに早く逝ってしまうんだ。バカ野郎!」と、気持ちをそのままぶつけさせてもらった。”(p179-180)

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讀賣巨人軍時代の木村拓也選手が急遽キャッチャーに抜擢されたシーンほか

改めて振り返れた広島カープ最強時代

私と広島(東洋)カープの関係は、最も(私が)野球に熱かった頃(野球少年期)と(広島カープの)黄金期が重なり、

江夏の21球をはじめ、赤ヘル軍団のその強さを日本シリーズの舞台などで見せつけれられた印象が脳裏に刻まれています。

その中心的役割を担っていたのが山本浩二さんで、津田さんの話題をはじめ1980年代のエピソードに本書を通じて触れられた事に

タイムマシン的な感覚も呼び起こされました。イベントがきっかけで手にした一冊ですが、巡り巡ってきた感じが何とも心地よく、

現役を離れ、そのお姿に触れる機会はほぼ無くなれども、山本浩二さんに対する思い入れが強くなったような氣がします。

 


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