amassのFacebookページに「いいね!」しており、ときに情報を活かしていますが、
少し前に元グラフィックデザイナーで画家の横尾忠則さんの特番放映情報を知り、
録画していたのを最近になって視聴。
精神世界に傾倒した1970年代
番組全体でも横尾忠則さんのライフストーリーが学べて興味深かったですが、
特に印象に残ったのが、70年代、精神世界に傾倒していき、禅寺に入った時のエピソード。
住職から銀杏の落ち葉拾いを命じられるものの、次々に落ちてくる落ち葉に、
「全て落ち切ってから、まとめてやればいいじゃないか」と反発があったものの、命じられたままに従った結果、
それまでの横尾忠則さんご自身の生き方が目的と結果ばかり考えてきたことを気付かされたそうな。
銀杏の落ち葉拾いの作業を通じて、目的と結果を否定され、与えられた目の前に仕事に集中することの大切さに気付かされ、
今までの生き方を問われるきっかけになったとのこと。
過去でも、未来でもなく、「今」この時
先月(2017年11月)、読了した ↓
齋藤孝先生の『世界の見方が変わる50の概念』で「悟り」に関して
” 悟りとは、<思いわずらわずに今の時間に集中できている状態、それでいて自分の意識が勝ちすぎていない状態、リラックスして集中できている状態 >、つまり <何物にも惑わされない、すっきりとした頭や身体であること >です。”(p216)
” こう書くとむずかしく聞こえるかもしれませんが、たとえば山登りしている最中に、この先、いくつ峠を越えたら頂上に着くのかというようなことを考えずに、ただひたすら足を一歩一歩進めて、調子よく登れているというのは悟っている状態です。
反対に悟れない人は、<今> のことに集中できずに、たとえば明日の試験が気になって目前の勉強が手につかないというように、<今>が<将来>から侵食され、前回の試験がうまくいかなかったから今回もだめなのではないかというように、<過去>からも侵食されています。” (p217)
と書かれてあったことを思い出し、本質的な教えと理解しましたが、とかく後先考えがちなところ自分自身、
「今」に専心することの尊さ、改めて肝に銘じておこうと思いました。