養老孟司先生と云えば、↓
を上げる人は多いでしょうと、先月に参加した講演会が印象的で、
ちょっと著作に触れてみようということで、『京都の壁』に続いては
「代表作の『バカの壁』でしょう」と。
移動時間も長めにあった関係で、読み始めから読了に至るまで1.5日といったスピードで、興味深い記述が点在していました。
一世を風靡した「バカの壁」とは・・
結論的なところは・・
” これまで「バカ」について、また思考停止を招いている状況、あべこべの状況について述べてきました。
現代人がいかに考えないままに、己を周囲に壁を作っているか。そもそもいつの間にか大事なことを考えなくしまっていることを指摘してきました。”(p176)
” バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。
向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。
本書で度々、「人は変わる」ということを強調してきたのも、一元論を否定したいという意図からでした。
今の一元論の根本には、「自分は変わらない」という根拠の無い思い込みがある。その前提に立たないと一元論には立てない。
なぜなら、自分自身が違う人になっちゃうかもしれないと思ったら、絶対的な原理主義は主張できるはずがない。
「君子は豹変す」ということは、一元論的宗教ではありえないことです。コロコロ変わる教祖は信頼されない。
だから、都市化して情報化する。そういう世界では、ご存じのように、中近東が都市化していって、そこから一神教が出てきた。
事の流れからすれば必然なのです。”(p194-195)
など、「第八章 一元論を超えて」に記述されています。自分自身、印象的であったのは、
(上掲の)講演会時、理解が十分でなかった「無意識」に関して
” もともと無意識というのは、発見されるものではなくて日常存在しているものです。
なぜならば、我々は、毎日寝ています。寝ている間は誰もが無意識に近い状態です。
夢を見ているといっても、覚醒している時とはまったく異なる、低下した意識ですから。
この寝ている時間というのを、今の人はおそらく人生から外して考えていると思われます。
脳によって作られた都市に生活している、というのもその理由のひとつでしょう。”(p116-117)
” 無意識の状態でだって、身体はちゃんと動いています。心臓も動いているいるし、遺伝子が細胞を複製してどんどん増えて、いろんなことをやっているわけです。
それもあなたの人生だ、ということなのです。が、おそらく近代人というのは、それも自分の人生だとは夢にも思っていない。
それは単に寝て休んでいるだけのだと思っているわけです。人生から外して考えています。実はこれが、残りの起きている時間をおかしくしてしまう原因なのです。
完全に意識の連続の世界しか考慮に入れていないから、寝る前の自分と、目が覚めた後の自分が連続している同一の人間だ、と何も疑わずに安易に思ってしまう。
むろん、無意識を意識しろ、といっても矛盾しているというか無理な話です。ただし、あくまでも自分には無意識の部分もあるのだから、という姿勢で意識に留保を付けることが大切なのです。”(p119-120)
といった内容を脳について研究を進めれられている方から聞かされると、目を見開かされる(ような)思いに至りました。
養老孟司先生に誘われる知的冒険
一気に読んだこともあり、理解が浅いところに、興味の度合いに応じてすっ飛ばしてしまったようなところありますが、
ますます養老孟司ワールドへの興味を刺激された感もあり、著作の多さから
どれを読もうか、どれほど行けるか、・・ながら養老孟司先生の視点、専門性を通じての知的冒険を引き続き、楽しんでいけたらと思います ^^