前々回、読み始め記↓を上げた
養老孟司先生の『超バカの壁』を読了.-
「あとがき」を含め、全190ページ、全12章で、やや冗長と感じるところもありましたが、
1章あたり単純計算16ページ弱と読みやすく、快調なペースで読了に至りました。
何もこのことは本書に限ったことではなく、読みやすさということでは、他の養老孟司先生の著書についても同様のことが言えるであろうと感じています。
夏の講演の際、少子化についての紐解きがありましたが・・
” 都市化するということは自然を排除するということです。脳で考えたものを具体的な形にしたものが都市です。
自然はその反対側に位置しています。つまり子供は都市から排除されるの存在なのです。”(p73-74)
“要するに人間が生きるためにはやらなくてはいけないことが二つに分かれていたのです。対自然と対人間の二つの世界があった。
対人間世界が嫌ならば自然のほうに逃げるという手があった。仮に勉強が駄目だったり、運動ができなかったりしても、
魚取りや虫取りが得意だとかそういう些細なことがきっかけになって、いじめっ子だったはずの子供が面倒を見てくれるかもしれない。
そういう世界が半分になってしまったのです。つまり対人間世界だけになってしまった。
対人間世界、対自然世界、それぞれにプラス面とマイナス面があります。いじめは対人間世界のマイナス面の一例でしょう。
対自然の世界がなくなるということは、対人間世界のマイナス面が相対的に拡大することになります。
かつては世界の四分の一だったものが二分の一になってしまうからです。”(p89-90)
本では前後に引用の途中に丁寧な記述が成されていますが、講演の復習であったり、
或いはもっと視野を広げたところで
” 本当の価値とは何かという問いにぶつかるはずです。お前しか生み出すことができないものは何だということです。
こういう疑問は、人間は何のために生きるのかということと直結しています。
自分の行為が金になるとかならないというのは、一種の偶然に左右されます。その時々の状況に左右される。それはだれでもわかっている。
競馬や株というのは偶然の象徴的な存在としてある。偶然の部分だけをつまみ上げているわけです
しかし人生の価値というのは、そんなところにはないはずです。
人生の価値は金を稼ぐことだと思っている人もいるでしょうが、私は何となく、世の中の穴を埋めることだろうと思っています。
世の中に穴が空いていると、何かみんな困るから、それなりに、それを平らにすることだと。
仕事で埋めるのか、学問で埋めるのか、それは人それぞれでしょう。
学問がすべてだと言っているのと、お金がすべてだと言っているのは同じです。
「何々がすべて」という考え方は大方怪しいと思っておいたほうがいい。
愛がすべてだというのも同じようなものです。この手の言い方こそが一元論から来ているものです。
お金がすべてなのではありません。「俺にとってはお金が大事だ」と言っているだけことです。”(p123-124)
と、文面から「自分(の場合)はどうだろう」といった具合で、本の中に
考え(させられ)るヒントが点在しており、養老孟司先生の著者は本書で3冊目でしたが
だんだんと養老孟司先生の世界観といった全体像が感じられるようになってきたこともあり、今回も読書でページを開いていくプロセスが楽しいものでした。
続いては ↑ ^^