養老孟司先生の『死の壁』を読了。
本書を入手していたのは『バカの壁』の次であったものの、テーマの興味から『超バカの壁』『自分の壁』を先行。
養老孟司先生の講演会↓で京都へ向かう行き帰りで、
ほぼ読了させ、さほど予想していたまでの重たさはなく、結論的なところでは・・
” 人事にせよ、死にせよ、いずれも「なかったことにする」ことは出来ません。死は回復不能です。一度殺した蝿を生き返らせることは出来ません。
だから人を殺してはいけないし、安易に自殺してはいけない。安楽死をはじめ、死に関することを簡単に考えないほうがよい。
しかし、原則でいえば、人生のあらゆる行為に回復不能な面はあるのです。死が関わっていない場合には、そういう面が強く感じられないというだけのことです。
ふだん、日常生活を送っているとあまり感じないだけで、実は毎日が取り返しがつかない日なのです。今日という日は明日には無くなるのですから。
人生のあらゆる行為は取り返しがつかない。そのことを死くらい歴然と示しているものはないのです。”(p188)
と、本の最後、読者へのエールとも受け取られる内容で締め括られていたり、
” 本来、人間は日々変化するものです。生物なのだから当たり前です。眠っているあいだにも身体は変化している。脳細胞だって変化している。
それでも毎日目が覚めるたびに「今日の俺は昨日の俺とは別人だ」と思うようでは、社会生活も何もあったものではない。
だから、意識は「昨日の俺は今日の俺と同じだ」と自分に言い聞かせ続けます。”(p27)
或いは
” 今では京都大学の教授になった私の後輩が若い頃、解剖学をやろうかどうしようか迷っていた。それで私の先生に相談した。
すると、その先生は一言、「悩むのも才能のうち」と言ったそうです。
それで彼はホッとした。そもそも悩めない人間だってたくさんいます。そういう人がバカと呼ばれるわけです。
悩むのが当たり前だと思っていれば、少なくともそんなに辛い思いをすることはない。”(p173)”
といった視座は、養老孟司先生の著作に触れるようになって考え始めるようになった内容であったり、指摘されてみて目を見開かされたり、本書でも考えてみるとっかかりが点在していて興味深かったです。
「死」を考え「生きる」を問ふ
(例えば)今年に入ってから身近「死」を経験していない状況で
「死」との距離感、別のタイミングで読むと、また違った感じ方、捉え方をすることになるでしょうが、
誰しも避けることの出来ない「死」について考えるに、読みやすく、
誰だかの言葉で「死について考えることは、つまるところ生き方について考えることだ」といった物言いがあったかと思いますが、
上述の引用箇所をはじめ、生きることへの考え方もさまざま示されていた一冊であったように思います。