養老孟司先生が迫る、ヒトとはなにか、生きるとはどういうことか:『遺言。』読み始め

養老孟司先生の新著『遺言。』を

読み始めて、

全部で9章(+終章)あるうちの第4章までを読み終えたので、そこまでのおさらい。

 1章 動物は言葉をどう聞くか

 2章 意味のないものにはどういう意味があるか

 3章 ヒトはなぜイコールを理解したのか

 4章 乱暴なものいいはなぜ増えるのか

 5章 「同じ」はどこから来たか

 6章 意識はそんなに偉いのか

 7章 ヒトはなぜアートを求めるのか

 8章 社会はなぜデジタル化するのか

 9章 変わるものと変わらないものをどう考えるか

 終章 デジタルは死なない

という章立てで、養老孟司先生の講演でもお馴染みの

” すべてのものに意味がある。都会人が暗黙にそう思うのは当然である。なぜなら周囲にあるものしか置かないからである。

しかもそれを日がな一日、見続けているのだから。世界は意味で満たされてしまう。

やがて意味のないものの存在を許さない、というやはり暗黙の思いが生じてくる。”(p.35)

という内容に、未読箇所では「意識」についてのお話しなど、今まで見聞きしてきたことの復習に、

(今まで読んできたところの中での)新しいところでは

” SMAPは「世界に一つだけの花」を歌った。「世界に一つだけの花」は交換可能ではない。

なぜ花なのかというと、花は見るもので、つまり感覚的な存在だからである。

ヒトを感覚で捉えたら、平等どころの騒ぎではない。みんなそれぞれ違うに決まっている。だから「世界に一つだけの花」はその意味では当然である。

その当然をわざわざ歌い、それがヒットするのは、当然が当然ではない社会だからである。つまり違いを主張する感覚所与が排除されている社会だからである。”(p58)

といった考察など、

滑り出し、ちょっと難解な印象もあるものの今回も養老孟司先生を通じてのモノの見方、論の展開が楽しみです。

なお、タイトルに関して

” 当面死ぬ予定はない。なので、この本も「遺言1.0」とでも呼んだ方がよいかもしれない。”(p4)

と、本の冒頭で宣言されており ^^

(タイトルから)想起されるような、重苦しい要素は皆無ですので、念のため。


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