吉田義人さんがラグビー人生の想いを綴った『矜持 すべてはラグビーのために』読了

先日、読み始め記をアップロードした

<< 2017年11月13日投稿:画像は記事にリンク>> 吉田義人さんがラグビー人生の想いを綴った『矜持 すべてはラグビーのために』読み始め

吉田義人さんの『矜持 すべてはラグビーのために』を読了。

挑戦と立ちはだかった試練と・・

読了に至る中途から本書から伝わってくる印象として、挑戦と苦難の繰り返しが吉田義人さんに訪れていたことが分かり、

例えば、明治大学ラグビー部キャプテンとして大学日本一に導いた後、伊勢丹に就職した決断が当時話題となりましたが・・

(遡ること大学2年生の早明戦後)勧誘の過程で、当時の取締役でラグビー部部長の頭山秀徳さんから

” 「伊勢丹ラグビー部を強化していきたい。だからラグビーも本気でやってほしい。だけど、仕事も一生懸命にやってほしい。

そして、吉田君がラグビーで培ってきた経験を、会社にもラグビー部にも生かしてほしい」”(p139)

との殺し文句に打たれ、

当時、トップレベルの東日本社会人リーグではなく、下のリーグの関東社会人一部リーグチーム所属からの振り出しも、

吉田義人さんの奮闘に企業の強化策も実を結び、着実に伊勢丹ラグビー部の躍進していった傍ら、2年後(伊勢丹)本業の

“『伊勢丹、経営不振により、ラグビー部、強化中止、縮小へ』”(p170)

という煽りを受け、更には(就職から)8年後

” そしてその日は突然やってきた。伊勢丹ラグビー部、活動休止。”(p209)

という暗転。これを契機として

” 吉田義人がいまここにあるのはラグビーのおかげであり、それに対して何かができるとしたら、それは日本のラグビーに、日本のスポーツに少しでも貢献することではないだろうか。”(p210)

との考えから時代をやや先取りする形でフランスのプロリーグ行きを決意。入団テストの上、強豪USコロミエの所属が決まり、

” 開幕からの三か月間、この時期が最もつらかった。怪我もなく、体調も万全。なのに、コンビネーションがうまくいかない。

必要なフランス語は覚えていても、グランドではどうしても頭で理解しようとしてしまい、反応が遅れる。

説明しようとしても、そこまでのコミュニケーションはとれない。日本語が分かってもらえる相手もいない。ストレスはどんどん溜まっていった。”(p231)

という状況から

” グランドで言葉の問題がなくなると、私のプレはーどんどんはまっていった。

求める者と求められる者のスピードやスキルが一致したとき、こんなにもフランスのラグビーが楽しいのかと思った。

これでやれる!確かな手ごたえは、私だけでなくチームの首脳陣も感じたようだった。”(p235)

というところまで態勢を立て直すも、やがて離脱を余儀なくされる肋骨の軟骨損傷に見舞われてしまうなど

読んでいて、もどかしく感じられるシーンが、散見(繰り返す)されました。

吉田義人さんの矜持

それでも、吉田義人さんは本の結びで(改めて)、

” ラグビーが私を育ててくれた。明治大学の北島忠治監督をはじめとする多くの指導者、先輩、後輩、そして仲間に恵まれていまの私がある。

どんなに感謝してもしきれないほどだ。そして、そういう人たちとともに歩んだラグビー人生こそが、私の「矜持」である。

自分を甘やかさず、大志を抱き、一つのことを熱を持ってやり抜く覚悟があれば、結果は自然とついてくると、ラグビーは教えてくれた。

「本物であること」、「本流を歩むこと」、「本筋を貫くこと」、これが私の座右の銘である。”(p317)

と本書を書き上げられる過程で、ご自身の半生を出会い、感謝に満ちたものと認識され、また、前向きな姿勢が読者へのエール、メッセージになっています。

もとより(本書を手に取る前から)吉田義人さんにストイックなイメージを持っていて、本書に触れ、その思いを強くしました。

吉田義人さんが直面した壁に苦悩に、それらとどのように対峙し、心情の動きを含め乗り越えていったプロセスが丁寧に記述されていて、

それらが興味深く、本の中盤から終盤にかけては快調なペースで読了に至りました。

本書とカテゴリーを同じくする(元)プロ野球選手やアスリートが著者となった本の厚みは大抵150〜200ページ程度と思いますが、本書は実に319ページ!

その分、著者(吉田義人さん)を身近に感じた思いを抱きました。


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